108 outlaws
辺境
三
首に刺さった矢を慎重に抜き、すぐに血を止める処置をした。
安道全から持たされていた薬が役に立った。薛永の軟膏を改良したものらしい。
だが張清の意識はなく、すぐに戴宗が梁山泊へと運んで行った。やはり安道全にきちんと診せねばならない。
そして宋江に救援を求めるためでもあった。
このままでは梁山泊に戻る事も難しい。
「あんた、病関索どのでは」
血を拭いながら、薊州の医者が驚いた顔をした。
そのはずだ。楊雄は遼兵の姿をしていたからだ。石秀も、張清も戴宗もである。
だが医者はその先は言わず、残った血を拭った。
張保が先導し、楊雄たちを負傷兵と偽り、薊州へ入れた。
「何故だ、張保」
「なにがだ」
「お前は、敵ではないのか」
「敵に見えるのかい」
詰め寄る石秀に、張保はおどけたような顔をした。
「誰が敵か味方かは、俺が決めることさ」
「遼軍にいたじゃないか」
「仕方なくだ。耶律得重が来てから、変わっちまってな」
確かに、以前の薊州と違うようだ。
楊雄がいた頃から遼の統治下ではあったが、賑わいがあった。だが医者の所に来るまでにも感じたのだが、どこか閉塞感が漂っていた。
人々は俯いて歩き、遼兵を見ると隠れるように散っていった。
楊雄が立ち上がり、張保に向き合う。
「理由はさておき、助けられたことには変わりない。とにかく礼を言う」
「へへへ、さすが病関索どのは道理が分かってらっしゃる。義弟の方はどうかな」
そう言って、ちらりと石秀を見る。
石秀が、渋々礼をする。
医者の元から、張保の家へ移る。
張保が卓にどっかと座り、二人に酒を回した。
「まあ、これで過去の事は水に流そうや」
一口酒を飲み、嬉しそうに言う。
「しかし丁度良いところへあんたらが来たもんだ。俺はついてるぜ、まったく」
「どういう事だ」
「まずはどこまで知ってる。この地の現状を」
楊雄は隠さずに話した。
国王と称する者が、燕京を拠点として配下を送りこみ、各地を制圧している。そして彼らは宋朝からの貢物を奪い取り、資金元としているという事。
石秀が訊ねる。
「この薊州の耶律得重ってのは皇弟なんだろ。ってことは国王って奴も耶律なんとかってのかよ」
「契丹人は大体、耶律だろうが。それに国王の名前なんて、知ったところでどうなるもんでもねぇしな」
さて、と張保が話を戻す。
「俺は、あいつらを追っ払いたいんだよ。お前ら梁山泊もそのために来たんだろ」
張保は期待を込めた目で二人を見る。
巻き込まれただけだ、と楊雄は言えなかった。
自軍を見失ってしまった。
遼の攻撃から逃れたのは良いが、ここはどこだ。
盧俊義は辺りを見回す。
すでに日が落ちており、位置が掴めなかった。
玉田県からは遠く離れていないはずだが。地図を持った燕青ともはぐれてしまっては、どうしようもない。
闇の中で、盧俊義は息を潜め、耳を澄ました。
蹄の音だ。二騎、いや四騎はいるだろうか。
風に乗り、微かに声も聞こえてくる。契丹の言葉だ。
馬を動かさぬように、静かに槍を身に寄せる。
突如、叫び声が上がり、音が近づいてきた。
盧俊義はその場で待った。逃げようにも逃げられないからだ。
蹄の音と、敵の声で位置を計る。
来た。
突き出された槍を、盧俊義が弾いた。敵側に、明らかに動揺が感じられた。
目が慣れてきた。どうやら相手は耶律得重の息子たちか。
一対四である。本来なら無事では済まなかっただろう。しかし却ってこの暗闇が、盧俊義に有利に働いた。
次々に繰り出される攻撃を防ぎつつ、反撃をする。
腕は良いようだ。だが悲しいかな、踏んだ場数は盧俊義が上だった。
末子の耶律宗霖が刀を斬りこんだ。盧俊義の肩口が裂けた。
おおおっ、と盧俊義が吼え猛る。宗霖は思わず身を縮めてしまった。
そこへ盧俊義の槍が閃いた。腹を貫かれた宗霖は、音を立てて地面に転がった。
「次はどいつだ」
だが後の三人は怖気づき、馬を返すと逃げて行ってしまった。
その後しばらく、盧俊義は荒い息を整えながら、耶律宗霖を見下ろしていた。
月明かりを頼りに馬を進めた。
すぐに済むと思っていた。消えた道を調べるだけだったのだ。
ところがいつの間にか、遼との戦の様相を呈してきた。
反乱を起こした国王とは一体、何者なのか。
ぼんやりと灯りのようなものが見えた。それに向かって駆けた。
おかしいと気付いた時は遅かった。盧俊義が灯りに近づいているのではない。灯りが移動してきていたのだ。
松明を掲げた騎馬の大軍が迫っていた。百や二百ではない。千はいるだろうか。
盧俊義は駆けながら月を仰ぎ見た。戦でなければ、ゆっくりと杯を傾けたくなるような美しさだった。
晁蓋の声が聞こえたような気がした。
ここで果てれば、それまでの人生だったという訳だ。
槍を頭上で回転させ、右脇に挟みこんだ。
覚悟はできた。
盧俊義は迷うことなく、馬を疾駆させた。
体が熱い。
血が滾(たぎ)る。
腕が止まるまで、槍を振るってやろう。
異国の地に、玉麒麟の咆哮が轟いた。
夜が明けてきた。
だが馬はもう限界だった。
そこへ襲いくる遼兵を、盧俊義が突き殺す。
その途端、槍も折れた。
全身傷だらけだった。矢も数本、腕や腿に突き立っている。致命傷なのか、それも分からないほど身体(からだ)の感覚がない。
馬が倒れた。盧俊義が放り出される。
すまない。ここまで連れて来てくれて、感謝する。
背後で土を踏む音がした。三人の兵が馬を下り、刀を揺らしていた。一斉に刀を振り上げた。
ひゅんという、何かが飛んでくるような音がした。
一人の頭に矢が突き立った。
二人目の首が嫌な音を立て、折れた。
三人目が後方に吹っ飛んだ。口から血の泡を吹いていた。
「旦那さま、遅れて申し訳ありません」
盧俊義の横に、燕青が立っていた。
遼兵たちがわらわらと集まってくる。一様に口元に笑みを浮かべていた。
一人で何ができる、そう言っていた。
また三人襲いかかってきた。
燕青は滑るような足さばきで、その三人を瞬時に屠った。
遼兵の笑みが消えた。
目の前の男、燕青の尋常ではない強さを理解したようだ。
ぬうっと、燕青の後ろから李逵と鮑旭が姿を見せた。
「おいおい、こいつは盧俊義の旦那ひとりで殺ったのかい。三百はいるぜ」
鮑旭が周囲を見回し、感心したように言う。遼兵の死体が無数に転がっていたのだ。
遼兵たちは二人の面相にぎょっとした。だが梁山泊はこれ以上、増える訳ではなかった。
三人でこの数を相手にできると思っているのか。嘲るような笑みが再び現れた。
燕青が盧俊義に上着をかけた。
頼んだぞ、と言って盧俊義が目を閉じた。
「李逵、鮑旭、一人も生きて帰すなよ」
「へへへ、そうこなくっちゃ」
「鮑旭、どっちが多く殺せるか勝負しようぜ」
李逵と鮑旭が走った。
過信していた遼兵たちの間に戦慄が走った。
燕青はゆっくりと歩き、ぱきぱきと指を鳴らす。
襲いかかる兵は、燕青の動きを理解する前に命を消してゆく。
返り血を浴びながら鮑旭が、ほうと唸った。
いつもの燕青とは違う、鬼神のような顔をした燕青がそこにいた。
遼兵の喚声はすぐに悲鳴に変わった。
やがて立っている者は、燕青たち三人だけになった。
朝日に照らされた大地は、隙間なく骸で埋めつくされていた。