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辺境

 首に刺さった矢を慎重に抜き、すぐに血を止める処置をした。

 安道全から持たされていた薬が役に立った。薛永の軟膏を改良したものらしい。

 だが張清の意識はなく、すぐに戴宗が梁山泊へと運んで行った。やはり安道全にきちんと診せねばならない。

 そして宋江に救援を求めるためでもあった。

 このままでは梁山泊に戻る事も難しい。

「あんた、病関索どのでは」

 血を拭いながら、薊州の医者が驚いた顔をした。

 そのはずだ。楊雄は遼兵の姿をしていたからだ。石秀も、張清も戴宗もである。

 だが医者はその先は言わず、残った血を拭った。

 張保が先導し、楊雄たちを負傷兵と偽り、薊州へ入れた。

「何故だ、張保」

「なにがだ」

「お前は、敵ではないのか」

「敵に見えるのかい」

 詰め寄る石秀に、張保はおどけたような顔をした。

「誰が敵か味方かは、俺が決めることさ」

「遼軍にいたじゃないか」

「仕方なくだ。耶律得重が来てから、変わっちまってな」

 確かに、以前の薊州と違うようだ。

 楊雄がいた頃から遼の統治下ではあったが、賑わいがあった。だが医者の所に来るまでにも感じたのだが、どこか閉塞感が漂っていた。

 人々は俯いて歩き、遼兵を見ると隠れるように散っていった。

 楊雄が立ち上がり、張保に向き合う。

「理由はさておき、助けられたことには変わりない。とにかく礼を言う」

「へへへ、さすが病関索どのは道理が分かってらっしゃる。義弟の方はどうかな」

 そう言って、ちらりと石秀を見る。

 石秀が、渋々礼をする。

 医者の元から、張保の家へ移る。

 張保が卓にどっかと座り、二人に酒を回した。

「まあ、これで過去の事は水に流そうや」

 一口酒を飲み、嬉しそうに言う。

「しかし丁度良いところへあんたらが来たもんだ。俺はついてるぜ、まったく」

「どういう事だ」

「まずはどこまで知ってる。この地の現状を」

 楊雄は隠さずに話した。

 国王と称する者が、燕京を拠点として配下を送りこみ、各地を制圧している。そして彼らは宋朝からの貢物を奪い取り、資金元としているという事。

 石秀が訊ねる。

「この薊州の耶律得重ってのは皇弟なんだろ。ってことは国王って奴も耶律なんとかってのかよ」

「契丹人は大体、耶律だろうが。それに国王の名前なんて、知ったところでどうなるもんでもねぇしな」

 さて、と張保が話を戻す。

「俺は、あいつらを追っ払いたいんだよ。お前ら梁山泊もそのために来たんだろ」

 張保は期待を込めた目で二人を見る。

 巻き込まれただけだ、と楊雄は言えなかった。

 

 自軍を見失ってしまった。

 遼の攻撃から逃れたのは良いが、ここはどこだ。

 盧俊義は辺りを見回す。

 すでに日が落ちており、位置が掴めなかった。

 玉田県からは遠く離れていないはずだが。地図を持った燕青ともはぐれてしまっては、どうしようもない。

 闇の中で、盧俊義は息を潜め、耳を澄ました。

 蹄の音だ。二騎、いや四騎はいるだろうか。

 風に乗り、微かに声も聞こえてくる。契丹の言葉だ。

 馬を動かさぬように、静かに槍を身に寄せる。

 突如、叫び声が上がり、音が近づいてきた。

 盧俊義はその場で待った。逃げようにも逃げられないからだ。

 蹄の音と、敵の声で位置を計る。

 来た。

 突き出された槍を、盧俊義が弾いた。敵側に、明らかに動揺が感じられた。

 目が慣れてきた。どうやら相手は耶律得重の息子たちか。

 一対四である。本来なら無事では済まなかっただろう。しかし却ってこの暗闇が、盧俊義に有利に働いた。

 次々に繰り出される攻撃を防ぎつつ、反撃をする。

 腕は良いようだ。だが悲しいかな、踏んだ場数は盧俊義が上だった。

 末子の耶律宗霖が刀を斬りこんだ。盧俊義の肩口が裂けた。

 おおおっ、と盧俊義が吼え猛る。宗霖は思わず身を縮めてしまった。

 そこへ盧俊義の槍が閃いた。腹を貫かれた宗霖は、音を立てて地面に転がった。

「次はどいつだ」

 だが後の三人は怖気づき、馬を返すと逃げて行ってしまった。

 その後しばらく、盧俊義は荒い息を整えながら、耶律宗霖を見下ろしていた。

 月明かりを頼りに馬を進めた。

 すぐに済むと思っていた。消えた道を調べるだけだったのだ。

 ところがいつの間にか、遼との戦の様相を呈してきた。

 反乱を起こした国王とは一体、何者なのか。

 ぼんやりと灯りのようなものが見えた。それに向かって駆けた。

 おかしいと気付いた時は遅かった。盧俊義が灯りに近づいているのではない。灯りが移動してきていたのだ。

 松明を掲げた騎馬の大軍が迫っていた。百や二百ではない。千はいるだろうか。

 盧俊義は駆けながら月を仰ぎ見た。戦でなければ、ゆっくりと杯を傾けたくなるような美しさだった。

 晁蓋の声が聞こえたような気がした。

 ここで果てれば、それまでの人生だったという訳だ。

 槍を頭上で回転させ、右脇に挟みこんだ。

 覚悟はできた。

 盧俊義は迷うことなく、馬を疾駆させた。

 体が熱い。

 血が滾(たぎ)る。

 腕が止まるまで、槍を振るってやろう。

 異国の地に、玉麒麟の咆哮が轟いた。

 

 夜が明けてきた。

 だが馬はもう限界だった。

 そこへ襲いくる遼兵を、盧俊義が突き殺す。

 その途端、槍も折れた。

 全身傷だらけだった。矢も数本、腕や腿に突き立っている。致命傷なのか、それも分からないほど身体(からだ)の感覚がない。

 馬が倒れた。盧俊義が放り出される。

 すまない。ここまで連れて来てくれて、感謝する。

 背後で土を踏む音がした。三人の兵が馬を下り、刀を揺らしていた。一斉に刀を振り上げた。

 ひゅんという、何かが飛んでくるような音がした。

 一人の頭に矢が突き立った。

 二人目の首が嫌な音を立て、折れた。

 三人目が後方に吹っ飛んだ。口から血の泡を吹いていた。

「旦那さま、遅れて申し訳ありません」

 盧俊義の横に、燕青が立っていた。

 遼兵たちがわらわらと集まってくる。一様に口元に笑みを浮かべていた。

 一人で何ができる、そう言っていた。

 また三人襲いかかってきた。

 燕青は滑るような足さばきで、その三人を瞬時に屠った。

 遼兵の笑みが消えた。

 目の前の男、燕青の尋常ではない強さを理解したようだ。

 ぬうっと、燕青の後ろから李逵と鮑旭が姿を見せた。

「おいおい、こいつは盧俊義の旦那ひとりで殺ったのかい。三百はいるぜ」

 鮑旭が周囲を見回し、感心したように言う。遼兵の死体が無数に転がっていたのだ。

 遼兵たちは二人の面相にぎょっとした。だが梁山泊はこれ以上、増える訳ではなかった。

 三人でこの数を相手にできると思っているのか。嘲るような笑みが再び現れた。

 燕青が盧俊義に上着をかけた。

 頼んだぞ、と言って盧俊義が目を閉じた。

「李逵、鮑旭、一人も生きて帰すなよ」

「へへへ、そうこなくっちゃ」

「鮑旭、どっちが多く殺せるか勝負しようぜ」

 李逵と鮑旭が走った。

 過信していた遼兵たちの間に戦慄が走った。

 燕青はゆっくりと歩き、ぱきぱきと指を鳴らす。

 襲いかかる兵は、燕青の動きを理解する前に命を消してゆく。

 返り血を浴びながら鮑旭が、ほうと唸った。

 いつもの燕青とは違う、鬼神のような顔をした燕青がそこにいた。

 遼兵の喚声はすぐに悲鳴に変わった。

 やがて立っている者は、燕青たち三人だけになった。

 朝日に照らされた大地は、隙間なく骸で埋めつくされていた。

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