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水火

 馬に揺られ、関勝は思い起こす。

 かつて部下でもあった二人の将と、これから戦うのだ。

 魏定国は神火将、単廷珪は聖水将と渾名されている。それぞれ火計と水計を得意とするところから、そう呼ばれていた。

「斥候から報告。二将が陣を構え、展開しているとの事です」

 そこに郝思文の声が聞こえた。宣贊の顔に緊張が走った。

 雪原の中の凌州城、その前に赤と黒の軍が陣取っていた。

 郝思文が相対する軍には黒の旗が、宣贊が対する軍には赤い旗が掲げられていた。

 敵将の鎧も馬も、それぞれ赤と黒で統一されている。赤の将が魏定国、黒い将が単廷珪だ。

「神火将と聖水将、相手にとって不足はない」

 郝思文が言い、うむと宣贊が頷いた。二騎が同時に駆け、兵もそれに続いた。凌州軍が待ち構える形で、両軍がぶつかった。

 赤い馬に乗り、紅の甲冑の魏定国は不敵な笑みを浮かべていた。

 黒い馬の、漆黒の甲冑の単廷珪は、向かってくる梁山泊軍を真っ直ぐにみつめている。

「おい、奴らのこのこと来やがったなあ」

「見れば分かる。いちいち口に出すことでもなかろう」

「へっ、鎧と同じで暗いんだよ。お前は」

「関係ない。ならばお前も、鎧と同じようにうるさいな」

「そうさ、俺は火が好きだからな」

 単廷珪がため息を漏らした。

「出陣の度に、同じ会話をするのは、いい加減やめないか」

「嫌なのか。俺は好きだがな」

 笑う魏定国に、単廷珪は諦めたように首を振った。

 火と水。相容れないような、この二将。

 単廷珪が言うように、いつも同じようなやりとりをしていた。部下の兵たちさえ、本当に仲が悪いのかそうではないのか、判然としなかった。

 ともあれ。

「来たぞ。お前ら、負けるんじゃねぇぞ」

 魏定国軍が喚声を上げ、前に出る。

「進め」

 単廷珪は静かに命じ、兵も粛々と応じる。

 魏定国の隊は宣贊へ、単廷珪の隊は郝思文へと向かって別れた。ほどなくして両軍がぶつかった。

 丘の上から、関勝は戦場をじっと見つめている。いまのところ、なんらかの計が出される様子は見えない。

 郝思文と宣贊が敵将と矛を交えた。

 郝思文の槍と単廷珪の槍が唸りを上げる。一方で、宣贊の剛刀と魏定国の刀が、火花を散らした。

 郝思文の放つ槍を、単廷珪は淡々と受けていた。単廷珪は気合も発さず、時おり鋭い一撃を繰り出してくる。

 さすがは開封府から、討伐軍に任命される将か。しかし呼延灼や林冲、関勝のような強さではない。郝思文は次第に攻勢になってきた。

 宣贊が剛刀を振るう。それをものともせず、魏定国も刀を閃かせる。刀の形状が、どことなく炎を連想させた。魏定国の表情も猛々しいものだった。

 神火将か。宣贊は内心つぶやくと、周囲を一瞥(いちべつ)した。

 敵兵にも特段、変わった者はいないようだ。さらに戦場(いくさば)は広い平原。伏兵などを置く場もない。計を仕掛けている可能性は低いか。

 宣贊は鐙を力強く踏み込んだ。剛刀がさらに唸りを上げる。

 十数合打ち合った単廷珪が隙を見て、郝思文から離れた。また宣贊に押され気味になった魏定国も続いて逃げた。

 勝機を逃すまじと郝思文、宣贊が後を追った。

「待て、何か仕掛けているぞ」

 関勝が叫んだ。

 すぐに鳴らした鉦の音は、間に合わなかった。

 

 魏定国の相手も、単廷珪の相手もかなりの使い手だった。梁山泊軍を率いるのは関勝と聞いていた。その配下なら、この強さも分かる。だが、それでも負けはしない。

 刹那、二人にしか分からない目配せをすると、まずは単廷珪が馬を返した。続いて魏定国も宣贊に背を向けた。

 魏定国は左へと大きく曲がり、雪のない地面へと向かった。

 魏定国は駆けた。振り向かずとも、宣贊が追ってきているのが分かる。

 突如、耳の側で切り裂くような音が聞こえた。魏定国は思わず振り向いてしまった。宣贊が弓を構えていた。

 魏定国はひやりとした。曲がらなければ、当たっていた。そしてにやりとした。運は味方しているということだ。

 宣贊が二の矢をつがえた。もう一度、魏定国の背に狙いを定めた。そして放った。

 その矢は方向を変え、上空へと飛んで行った。魏定国を狙っていたはずの宣贊が、いつの間にか空を見ていたのだ。

 その時、郝思文は単廷珪を追っていた。

 単廷珪は大きく右に迂回をし始めた。郝思文も馬を右に駆けさせた。

 単廷珪との距離を縮めるため、馬腹を蹴った。速度を上げた次の瞬間、景色が回った。そして体に大きな衝撃を受けた。

 そのまま郝思文が地面を滑った。滑りながら郝思文は気付いた。

 そこは地面ではなかった。氷の上だったのだ。

 どこか打ったようだ。上手く腕が動かなく、体勢を整えられない。

 宣贊の方を見た。同じように、宣贊の馬も足を滑らせていた。

 宣贊は仰臥(ぎょうが)したまま動かない。大丈夫か、頭でも打ったのか。

 宣贊の元へ、魏定国が近づいてきた。 

 気付くと、こちらへも単廷珪が戻って来ていた。

 馬は氷の上でも滑ることなく駆けている。蹄鉄に棘のようなものが見えた。

 氷すなわち水という訳か。

 聖水将。

 郝思文は、その渾名の意味を痛感した。

 関勝が兵を率い、丘を下った。

 郝思文が捕らえられる直前、こちらを見た。助けに来るな、という表情だった。相変わらず郝思文らしいが、そういう訳にもいくまい。

 郝思文と宣贊の隊の残りが、関勝軍に合流してきた。そのまま勢いをつけ、馬上の関勝が青竜偃月刀を両手で握った。

 再び兵をまとめた魏定国と単廷珪がそれに向かう。

 氷の計は露見した。だが敵の三分の一を倒している。計など用いなくとも、勝てる。

「怯むなよ」

「分かってる」

 赤と黒の二将が、左右から関勝に襲いかかった。

 だが関勝は焦らず、単廷珪の槍を弾くと偃月刀を回して、魏定国の刀を防いだ。二人の腕は痺れ、追撃ができなかった。

 どうだ、と言わんばかりに赤兎馬が嘶いた。 

「久しいな、二人とも。しかし計に頼るあまり、腕を磨くのを怠っていたのではないか」

「くっ、余計なお世話だ」

 魏定国が吠え、単廷珪は無言で槍を構え直す。

 二対一だが、関勝はそれをおくびにも出さぬ戦いぶりである。かえって魏定国と単廷珪が、舌を巻くほどである。

 しかし兵たちはそうはいかなかった。徐々にではあるが、凌州軍が関勝軍を追い詰めてゆく。

 このままではまずい。一旦、体勢を整えなくてはなるまい。

 関勝軍から喚声が上がった。

 何事だ。魏定国の刀をあしらい、関勝が横目で見る。

 思わず、関勝の頬が綻んだ。

 凌州軍が何者かに蹴散らされてゆく。その、突如現れた軍を率いているのは、林冲と楊志だった。

 それに力を得た関勝は、頭上で偃月刀を大きく回した。そして魏定国と単廷珪を遠ざけると、馬首を返す。

「勝負は預けておこう」

 あっという間に関勝が林冲、楊志と合流した。関勝は兵をまとめ、丘の向こうへと撤退した。

「ちっ、仕留め損ねたな」

「負け惜しみにしか、聞こえないよ」

 ふん、と唾を吐き魏定国が凌州城へと引き返す。

 丘をしばらく見つめていた単廷珪も、やがて馬を返した。

 関勝は兵を休ませ、自らの陣幕へ戻った。

「軍師どの、かな」

 援軍をよこしたのは、という意味だ。

 林冲はそれには答えず、関勝に訊ねた。

「ひとりで攻めるとは、関勝どのらしくない」

 関勝はそれに答えず、ただ口の端を歪めた。

 今度は楊志が口を開く。

「郝思文と宣贊を捕らえるとは、敵も侮れませんな。関勝どの、何か策が」

「うむ、奴らのどちらかと、一対一の状況に持ち込みたい。そうすれば、光明が見いだせるだろう。それと、郝思文と宣贊のことだが」

 関勝が語るには、おそらく捕らえた二人を開封府へと送るだろう、というのだ。

 その可能性を踏まえ、同じく援軍の黄信と孫立に待ち伏せさせる手筈をとった。

 関勝軍は沈鬱な雰囲気をまとったまま、翌朝を迎えた。

 空が少しずつ明るくなる。東から陽が昇る。

 兵たちが顔を上げる。

 関勝は丘の上にいた。凌州城を見下ろす丘だ。

 陽が、関勝と重なる。まるで陽を背負っているように見えた。

 兵たちが立ち上がりはじめた。昨晩までの暗い顔が、払われてゆく。

 関勝が青竜偃月刀を、天に掲げる。

 おおお、と地をどよもす喚声が鳴り響いた。

 これが関勝という男か。

 たったひとつの動作だけで、これほど兵の心を掴むことができるものなのか。

 林冲そして楊志までも、胸が熱くなった。二人の目も、周りの兵と同じ目になっていた。

 関勝、林冲、楊志を先頭に丘を下る。兵の足取りも軽やかだ。

 凌州城の門が開き、兵が飛び出してくる。やはり魏定国と単廷珪が率いていた。

 関勝は単廷珪へと向かった。

 林冲、楊志は魏定国である。

 昨日の言葉通り、魏定国を足止めさせるのだ。

 関勝は単廷珪軍に仕掛けたが、すぐに距離をとった。単廷珪軍はそれを追う。だがすぐに関勝軍が、またぶつかる。しかし本格的な戦闘になる前に、また関勝軍が離れる。

 何度か同じことを繰り返し、単廷珪の顔色が曇った。

 主戦場から遠く離れてしまったと、気付いた時には遅かった。魏定国と離間させる計略だ。

「まずは、お主からだ」

「そう、上手くいくと思いますか」

 裏腹に、単廷珪の内心は穏やかではなかった。言葉まで、目上に対するそれになってしまっていた。

 武芸の腕で、関勝に敵うはずもないことは、自分自身がよく知っている。だが戦うしかない事も分かっている。

 単廷珪は渾身の一撃を放った。関勝はそれをぎりぎりで避け、馬ごと突っ込んだ。偃月刀を半回転させ、刃の裏側で単廷珪に打ち込んだ。

 首筋に峰打ちを喰らい、嗚咽しながら単廷珪が馬から落ちた。

 やはり強い。しかも手心を加えられた。本当ならば、首と胴体が離ればなれになっていたのだ。

 地面を見る単廷珪に、手が差し伸べられた。関勝が馬を下り、片膝をついていた。

「すまない」

「何が、すまないですか。負けた相手に手を差し伸べられる。軍人にとって、これ以上の屈辱がありますか」

「腕を磨くのを怠っていた、と言ったことだ。とんでもない。水計をさらに磨きあげていたのだな。だから、失言を謝っているのだ」

「卑怯ですね。そうやって人の心に入りこんでくる。あなたがそう言う時は、何か考えている時だ。違いますか」

「はは、卑怯か。参ったな、見透かされておるか。そうだな。では、言い方を変えよう。単廷珪よ、わしの勝ちだ。梁山泊に降れ。梁山泊にはお主の力が必要だ」

 馬鹿なことを、と思いながらも単廷珪は目を上げた。

 関勝は微笑んではいたが、有無を言わせぬ決意がはっきりと見えた。

 山賊の軍門に降るだと。そんな事、できるはずがないではないか。

 単廷珪はじっと関勝を見る。

「梁山泊はお主らが思っているものと、少し違う。確かに国にとってみれば賊にすぎないだろう。何が違うのかは、わしの口からは言わん。お主が直接感じて欲しい。どうするかは、その後で決めても良いと思わんか」

「私は敗将です。私に決める権利など」

「ならば、わしが決める。いまからお主は、梁山泊だ」

 無言のままの単廷珪。関勝が馬にまたがりながら言った。

「次はあの男だ。お主にも手伝ってもらうぞ」

 魏定国も懐柔しようとういうのか。

 梁山泊に降れ、などと言ったならば烈火の如く怒るに違いない。

 ともあれ、単廷珪は関勝の後を追うしかなかった。

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