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水火

 凌州から東京開封府へ続く道。三百人ほどが行軍していた。

 騎馬が百ほどで前後を守り、列の中央あたりに陥車がふたつ押したてられていた。そこから首を出しているのは、郝思文と宣贊である。

「短い間だったが、お主と共に戦えて光栄だったぞ」

 宣贊がしみじみと言う。このまま開封府に着いたならば、賊徒として処刑される運命だ。にもかかわらず、その顔は誇らしげであった。

 郝思文も、どこか晴れやかな顔だった。宣贊ほどの男にそう言われたのだ。嬉しくないはずがなかった。

「頭は、大丈夫なのですか。氷で打ったのでは」

「ご覧の通り、頑丈さだけが取り柄でな」

「はは、それは何よりです」

 そこへ護送隊長が馬上から怒号を飛ばす。捕囚らしくおとなしくしていろ、というのだ。

 一行は山間の道に差しかかっている。山は枯樹山と呼ばれており、文字通り緑がほとんどなく、枯れ木ばかりだった。

 ため息をつき、前を見た隊長は、その目を大きく見開いた。

 左右の山の上、そこにずらりと人影が並んでいた。ざっと見、こちらの倍はいようか。遠目にも、凶悪な顔ばかりなのが分かった。

「枯樹山の連中だ。戦闘態勢」

 隊長が叫ぶと同時に、山頂で銅鑼が鳴った。

 枯樹山の山賊たちが、一斉に駆けおりてくる。

 護送隊が矢を放ち始めた。

「おい、あれを見ろ」

 宣贊が促した先を見た、郝思文が声を上げた。

「あれは、李逵か」

 山賊の先頭を駆ける、色の黒い大男。それは確かに李逵だった。

 李逵は二丁の斧を竜巻のように振り回し、凌州軍を蹴散らして走る。

 横には、李逵と同じくらい大きな男が並んで走っていた。没面目の焦挺である。

 李逵が討ち漏らした兵を、焦挺が次々と投げ飛ばしてゆく。

 返り血を浴びた李逵が陥車まで辿り着いた。

「おう郝思文、宣贊。助けに来たぞ」

 二人が呆気にとられている間に、陥車が壊された。

 李逵が焦挺を紹介した。焦挺は黙って頭を下げる。

「どうして枯樹山に」

 という宣贊の問いに、李逵はにやりとしてある方向を示した。

 その先に、ひとりの男がいた。どの山賊にも劣らない凶悪な顔をしていた。

 男が嬌声を上げ、護送隊長に襲いかかった。

 危ない、と宣贊が叫んだ。男の刀捌きは、どうみても素人のそれだったからだ。

 予想通り、男が隊長の攻撃を何度も喰らった。だが李逵も焦挺も、慌てることなく男を見ていた。

 男の衣服が裂け、血が飛び散る。だが男は決して下がることなく、刀を隊長に振り下ろし続ける。

 次第に隊長の刀が乱れてきた。男は凶悪な顔をさらに歪めると、一歩踏み込んだ。

 男が刀を横に払う。隊長の首が飛んだ。それを見た凌州兵が算を乱した。

 枯樹山の賊たちが、兵たちに襲いかかった。戦いが終わった後、凌州兵で立っている者は、ひとりとしていなかった。

 男が隊長の首をぶら下げ、やってきた。

 枯樹山を束ねるその男の名は、鮑旭といった。

 李逵に似ている、と郝思文は思った。

 独りで凌州に攻め込もうとしていた李逵は、その道中で焦挺と出会った。

 仲間を得た李逵は、意気揚々と枯樹山へと向かった。もともと焦挺が向かおうとしていたのだという。そして枯樹山で李逵はすぐに鮑旭と意気投合することになる。

「乗った。曾頭市の連中が気に食わねぇんでな。だからそことつるんでる凌州も嫌いなのさ」

「やあ、気が合うなあ。ならば話は早い。おいらたちの力を見せつけてやろう。なあ、焦挺」

 焦挺はにこりともせずに頷いたが、喜んでいるようだった。

 盛大な宴が開かれ、三人は杯を交わした。

 鮑旭の話を、手下たちが我先に話しだす。鮑旭は喪門神呼ばれているという。つまり死神のことだ。

 戦うことではなく、殺すことがなによりも好きだというのだ。鮑旭だけではなく、この枯樹山の山賊たちがそういった集まりなのだろう。

 だが李逵にとって、そんな事は関係ない。戦力が増えるならば構わないのだ。

「では、凌州を陥としたら梁山泊に来い。おいらが宋江の兄貴に頼んでやる」

「もっと暴れられるのか」

「そうだ。おいらが約束しよう」

 鮑旭も、枯樹山の山賊たちも大きな歓声を上げた。

 そしてあくる朝、凌州兵がやって来るという報を、手下が持ってきた。

 李逵が駆けつけてみると、護送されている者に見覚えがあった。あの顔は、なんと宣贊ではないか。

 もう一人はあまり覚えていないが、共に捕らえられているということは郝思文だろう。

「あいつら、負けちまったのかよ。だからおいらが行くと言ったのに」

 そうして李逵たちは二人を救出した。

 それを聞き、宣贊が大笑した。

「礼を言う、李逵。おかげで助かった」

 そこへ孫立、黄信の隊が駆けつけた。郝思文は急くように、関勝の状況を訊ねた。

 郝思文が、怪我の手当てもせずに李逵と話している鮑旭を見る。

 我々が救出されたことを、凌州軍は知らない。これは好機だ。しかし。

 視線に気づいた鮑旭が、凶悪そうな目をぎらりとさせ、刀を揺らした。

「なんだあ、お前。李逵が言うから助けてやったんだ。凌州の連中と一緒に殺しても良かったんだがなあ」

 こういう手合いは苦手だ。だが、この状況でそう言ってはいられない。関勝に勝利をもたらすためには、力を借りなくてはなるまい。

「すまぬ。凌州軍に勝つために、、お主らの力を存分に振るって欲しいのだ。策を聞いてもらえるだろうか」

「へへへ、そうこなくっちゃな」

 鮑旭が、李逵と焦挺と肩を叩きあっている。 

 宣贊がこちらを見ていた。

 郝思文は口を一文字に結び、頷いた。

 決意に満ちた目をしていた。

 梁山泊の逆賊どもめ、と凌州太守が歯嚙みをしていた。

 奴らの二将を捕らえたは良いが、今度は単廷珪が捕らえられるとは。

「単廷珪の失態は、私の責任でもあります。ぜひ私に出撃の命令を」

 魏定国が太守の前で直立している。同じようにぎりぎりと歯を噛みしめていた。

 してやられた。関勝はうまく単廷珪を引き離した。魏定国が気付いた時には遅かった。

 相手をしていた援軍の二将の強さが異常なほどで、助けに向かうことができなかったのだ。

 討ちとろうと思えばできたはずだった。だが敵は撤退した。はじめから単廷珪が狙いだったのだろう。

「単廷珪は生きていると思うか、魏定国よ」

「それを考えても仕方ありません。死んでいようが、梁山泊に全力で当たるしかありません」

 太守の許可を得、魏定国が出陣した。紅い旗を押し立てて、堂々と闊歩する。

 梁山泊は関勝、林冲が陣頭に馬を並べている。魏定国を見て、関勝が馬を進めた。

 一瞬だけ、馬の脚が止まった。そして一瞬だけ、関勝と魏定国の目が合った。関勝はいつものように口の端に軽い笑みを浮かべ、魏定国は眉根を寄せていた。

 次の瞬間には両者がぶつかっていた。

 率いる兵も、それぞれに激しくぶつかっていた。

 魏定国の刀が唸りを上げ、関勝を襲う。だが青竜偃月刀は、その攻撃を右へ左へと受け流す。

「本気を出すまでもないというのか」

 激昂する魏定国だったが、その実力の差はいかんともしがたかった。先の戦いでも、単廷珪と二人がかりでやっとであったのだ。

 目を眇めると、魏定国は馬首を返した。それを追う関勝。

 だが梁山泊の陣中から声が上がった。それは単廷珪の声だった。

「駄目だ、追ってはいけない」

 林冲はすぐに退却の鉦を鳴らした。

 突然の鉦に、関勝軍が一瞬の躊躇いを見せた。いま自軍は圧している。関勝軍の誰もが、退却の鉦を何かの間違いだと思ってしまった。

 その一瞬が命取りとなった。凌州軍の中からわらわらと赤づくめの兵たちが現れた。

 関勝は手綱を引き、凌州の新手を見た。

 紅兵は手に槍を構えていた。槍の穂先あたりに筒のようなものが取りつけてある。さらに陣の中から車が押し出されてきた。車にも筒のようなものがいくつも据えられていた。

「退けい。退くのだ」

 関勝が叫んだ。鉦は正しい。何か嫌な予感がする。

 その声で、やっと兵たちが退却を始めた。

 だが凌州兵の槍の先が赤く染まった。槍から猛烈な勢いで火が噴き出した。

 神火将。

 その名を思いながら、関勝は兵たちを逃がすべく駆けた。

 火鎗を繰り出す兵たちを倒してゆく。しかし到底、ひとりで対抗できる数ではなかった。 逃げ遅れた兵たちが、火に襲われてゆく。

 かろうじて火鎗の射程は短いものだった。また車も重いようで、移動の速度も遅かったのが幸いした。

 被害を最小限に食い止めた関勝だったが、敵陣は勝利に沸いていた。

「仕留めそこなったか」

 関勝軍を誘い込み、うまく火計に嵌めたつもりだったが、すんでのところで鉦が鳴った。

 梁山泊の陣営でそれを察知したというのか。いや関勝すら気づいていなかったのだ。

 まさか単廷珪が、と思った時である。

 部下たちが騒ぎ、魏定国を呼んだ。

 振り向くと、もうもうと煙が立ち込めているのが見えた。

 煙そして炎が凌州城内から上がっていた。

「一体何事だ」

 魏定国は城門へと駆けた。

 そして飛び出してきた兵の報告に、顔を青ざめさせた。

 梁山泊軍が城内で暴れている、という報告だった。

 

 凌州城、北門が破壊されていた。

 火を付けられた家々の間を李逵と焦挺、そして鮑旭が走り回っていた。

 異変に気付き、凌州兵が駆けつけてくる。だが兵たちを横合いから襲う者がいた。

 郝思文と宣贊である。

 李逵らに救出された郝思文は、そのまま関勝と合流するのではなく、凌州を攻めた。

 思惑通り、正面の関勝にかかりきりになっており、反対側の北門の守りが手薄だった。そこを枯樹山の者たちと打ち破り、城内へなだれ込んだのだ。

「もう良い、李逵。充分な被害は与えた。関勝どのの元へ帰参するぞ」

 郝思文が叫ぶが、李逵らは聞く耳を持たず、鮑旭と共に暴れて続けている。

 扱いにくいとは聞いていた。宋江や戴宗の言うことならば従うと聞いてはいた。だがそれを承知で、李逵たちをこの攻撃に加えたのだ。

 そこへ宣贊が目で合図をしてくる。郝思文は得心して、声をかける相手を変えた。

「焦挺。撤収するぞ。李逵を頼む」

 李逵と鮑旭の後ろを駆けていた焦挺がこちらを見た。伝わっているかどうか、その表情からは分からない。

 ふと焦挺は、走る李逵の帯をむんずと掴んだ。

 李逵はそれを敵だと思ったのか、振り向きながら横に斧を振った。焦挺は頭を沈め、それをかわした。そしてその勢いを利用するかのように、軽く手を添えただけで李逵を地面に転がしてしまった。

「もう戻ると、言ってる」

 焦挺の言葉に、李逵が我を取り戻した。

「もう終わりなのか。仕方ねぇなあ」

 しぶしぶと李逵がこちらへとやって来る。

 鮑旭も、物足りなそうな顔で手下に命令を飛ばしていた。

 郝思文と宣贊は顔を見合せ、ひとまずほっとした。

 

 凌州城からほど近い中陵県、そこに魏定国は避難していた。

 城内に入れずに逃げ込んだのだ。

「やはり生きていたか、単廷珪」

「ああ、関勝どのには敵わなかったよ」

 魏定国と単廷珪が向き合っていた。

 逃げ込んだ魏定国を攻めようと試みた梁山泊軍だったが、そこへ単廷珪が進言した。

 魏定国の気性からいって、決して降服はしない。むしろ勝てぬと分かったならば、自刃を選ぶような男だと。

 関勝もそれは分かった。かつての部下だ、魏定国の性格は知っているつもりだ。

 単廷珪が説得すると言い、ひとりで向かったのだ。

「俺はすでに梁山泊の者になってしまった。だが関勝どの曰く、俺たちが思っているのと梁山泊は違うらしいのだ。それを己の目で見て欲しいと、言っている」

「馬鹿な。それを信じろというのか」

「信じないだろうな。関勝どの以外に言われても」

 魏定国は激昂して叫ぶ。

「ならば関勝どのに、ここへ来いと言ってくれ。ひとりでだ。単廷珪、お前を信じている。そして関勝どのも信じたい。約束を違えたならば」

 魏定国はその手を刀にかけた。やはり、自刃するというのだろう。

 単廷珪は頷き、梁山泊の陣へと戻った。

 意外なことに郝思文はそれを止めようとしなかった。

 声を発したのは林冲だった。

「どんな罠を張っているか、分かりません。それでも行くのですか、関勝どの」

「そんな事をする男ではないと思っている。奴は死なせるには惜しいのでな」

 爽やかな笑みを浮かべ、関勝が中陵県へと向かった。

 あくまでも心配そうな顔で、林冲が見送った。

「本当に、ひとりで来るとは」

「自分で言ったのではないか。だから来たのだが」

 今度は魏定国の正面に関勝がいる。

「やはり、あなたには敵わない」

「嬉しい言葉だ。さて、単廷珪にも聞いただろうが」

「仕方ありません」

「む」

「梁山泊へ行く、と言っているのです」

 関勝は何も言わない。

「ひとりで来いと言いました。そしてあなたは来た。ならば、俺も約束を守ります。それだけのことです」

 関勝はにっこりと微笑んだ。

「梁山泊に面白い男がいてな。古今東西の陣形を網羅していて、神機軍師と呼ばれている。お主の火計にもきっと飛びつくだろうて」

「そんな者が」

 やっと魏定国が、表情を緩めた。

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