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水火

 凌州の二将が、梁山泊討伐の指揮官に任ぜられた。

 その報は、すぐに梁山泊に届いた。呉用が各地に忍び込ませている者からの報だ。

「魏定国と、単廷珪という者のようですね」

「手をこまねいている暇はない。先手を打とうではないか」

 身を乗り出し、盧俊義が言った。

 凌州軍と言えば、先の曾頭市戦での際、梁山泊が運んでいた糧秣と援軍を邪魔するように出てきたのだ。調べたところ、やはり曾頭市と凌州の太守とはつながっていた。

「いや、盧俊義どのが出るまでもありません」

 やんわりと盧俊義を制し、関勝(かんしょう)が笑った。

「どうしたのですか」

「いや、わしは凌州の生まれでな。その二人を部下にしていた事もあるのだ。軍師どの、ここはわしに行かせてはくれぬかな」

 呉用はやや考えたが、了承した。

 副将に郝思文と宣賛。兵数は五千と決まった。

 関勝らが忠義堂から出て行ってからも、呉用は眉間に皺を寄せたままだった。

「どうしかしたのか。何か不安なことでも、軍師どの」

 盧俊義がそれに気付いた。

 呉用がやおら語りだす。

 北京大名府戦で、関勝は大活躍を見せた。だがまだ日が浅いせいもあるのだろう。呉用は完全には信用しきれない、というのだ。

「それは考え過ぎではないのか」

「宋江どのは皆を信じていただいて良いのです。疑うのが私の職務でもありますから」

 呉用は、林冲と楊志からなる五千をさらに出陣させた。

 そこへ李逵が飛び込んできた。

「宋江の兄貴、おいらも行ってきますよ」

「待て、李逵。今回はおとなしくしておるのだ」

「何です、関勝や林冲ばっかり贔屓して。そろそろおいらの出番じゃないんですかい。何もしないと病気になっちまうんですよ」

「気持ちはありがたいが、もう決まったのだ」

 だが、李逵もなかなか譲らない。こうなると駄々をこねた子供そのものだ。

 宋江は、軍規を守らないと、とまで言って、はっとした。

「なんだい、おいらの首を刎ねるってのかい。ふん、おいらは鉄面孔目も鉄臂膊も怖かないからな」

 李逵がそう叫び、走って出て行ってしまった。

 翌日、李逵が山を下りしまったという報告があった。宋江は、口を滑らせたことに後悔するばかりだった。

「李逵も役に立ちたいのでしょう。ほとぼりが冷めれば、戻ってくるのでは」

 盧俊義はそう言ってくれたが、宋江は心配でならなかった。

 李逵がひとりで梁山泊を出て、何も起こさずに済むとは思えないからだ。

「だと良いのですが」

 宋江は凌州戦よりも、李逵の方が心配であった。

 

 ぷりぷりとしながら、李逵が田舎道を歩いていた。

 宋江の兄貴も、ときどきわからず屋になるんだよなあ。凌州に乗りこんで敵将の首を奪ってくれば、おいらのことを認めてくれるだろう。項充と李袞も連れてきてやれば良かったかなあ。

 などと考えながらしばらく行くと、腹の虫が大きく鳴いた。

 李逵はしまった、と思った。勢いで飛び出してきたので、愛用の斧は持ってきたが路銀を持ってこなかったようだ。懐を探るが、出てくるのは糸くずばかりだ。

「くそう、腹減ったなあ」

 気落ちする李逵の前に、ひなびた居酒屋が現れた。しめたとばかりに、すぐに飛びこみ、肉と酒を注文する。

 あっという間に平らげた李逵は出て行こうとする。慌てた店の者がそれを止めた。

「すまんが、いま持ち合わせがないのだ。ちょっとこの先で稼いでから払うから良いだろう」

 李逵の風貌と態度に、店の者も尻込みをする。すると奥から体の大きな人相の悪い男が現れた。

「おい、そこの黒いの。ちゃんと金を払わないと痛い目に会うことになるぜ」

「なんだお前は。誰に向かって言っている」

「お前だよ、お前。とっとと金を置いて行きな」

「だから、金はないと言っているだろう。いったい誰だ、お前は」

 男はにやりとして、胸を反らせた。

「俺は梁山泊の韓伯竜さまだ。朱貴どのにこの店を任されているのだ」

 李逵はきょとんとした顔で、韓伯竜を見つめた。

 梁山泊の、と言ったが、こんな男を見たことはない。朱貴が、とも言っていたが本当なのだろうか。

「さすがに驚いたようだな。分かったなら、さっさと」

 李逵が斧を握っていた。

 韓伯竜は風を感じた。上から下へ一直線に、鋭い風を。

 次の瞬間、血飛沫が舞った。

 韓伯竜の体を縦に真っ直ぐ、李逵の斧が斬ったのだ。 

 血を噴き出しながら、韓伯竜が倒れた。

「お前など知らん。梁山泊を騙る不届き者め。怪しい匂いがぷんぷんするわい」

 ふん、と鼻を鳴らし李逵が悠々と立ち去ってゆく。

 店の者は、目の前で起きた事を理解できずに、しばらく立ちつくしていた。

 満たされた腹を叩きながら進むと、道を塞ぐ者がいた。

 李逵と同じくらいの体格で、男の方が筋肉がついているようだ。肩の盛り上がり方などは尋常ではない。

 男は何をするでもなく、李逵をじろじろと舐めまわすように見ている。

 また、変な野郎が出てきたな。

「おい、おいらは見せ物じゃあないぞ。誰だお前は」

「名無しだ」

 体格に似合わぬ小さな声で、男がぼそりと言った。

「ふざけるな」

 李逵が斧を振り上げ、男に襲いかかった。だが男は、韓伯竜のようにはならなかった。

 男は表情を変えずに前へ出ると、振り下ろされる李逵の手首を掴んだ。さらに足を踏み込むように動かし、李逵の足を払うように刈った。

 李逵が勢いよく地面に転がされた。攻撃の勢いを上手く利用された形になってしまった。

 慌てて起き上がる李逵。付いた土を払う事もせず、また男に向かって行った。だが同じように、地面に転がされてしまった

 起き上がった李逵は、男をまじまじと見やった。

 男がまたぼそりと喋った。

「お前は、誰だ」

「おいらか。おいらは李逵だ。黒旋風の李逵さまだ」

「嘘だ」

「本当だ。おいらは梁山泊の李逵さまだ」

「本当なのか」

「見ろ。この斧が証拠だ」

「どこへ行くのだ」

「凌州へ、敵の首を獲りに行くところだ」

「ひとりでか」

「そうだ。宋江の兄貴と言い合いになって、飛びだしてきたのだ」

 何度か問答をするうちに、男が拱手して頭を下げた。

「これは失礼をした」

 どうも疑り深い男のようだったが、自分が李逵だと分かってはくれたようだ。

「分かれば良いのだ。で、お前の本当の名は何と言うのだ」

「焦挺だ」

 焦挺は訥々と語った。生まれは中山府で、代々争交を稼業にしていた。一子相伝の技を受け継いでおり、李逵が投げられた技もそのひとつであるという。

 もともと人付き合いもあまり得意ではなく、表情も面(おもて)に出ない性質(たち)だったので没面目と渾名されているという。

 この先に枯樹山があり、そこで喪門神という者が山賊をまとめていると聞き、そこへ行って仲間になろうとした道すがらだというのだ。

「お前さんほどの腕なら、梁山泊へ来ると良いのに」

「伝手がなくて」

 その言葉に、李逵が胸を叩いた。

「よし、おいらが紹介しよう。おいらのお墨付きだぞ。これから一緒に、その喪門神とかいうのも連れて、凌州へ乗り込むとしよう」

 枯樹山への道をとった李逵と焦挺。

 だが彼らの背後から、声がした。

「やっと見つけたぞ。宋江どのが心配してるぜ。はやく梁山泊へ戻んなよ、李逵」

 時遷だった。宋江はやはり李逵のことが心配で、時遷をはじめ戴宗などを捜索に出していたのだという。

「駄目だ。凌州の敵の首を獲りに行くと、この焦挺と決めたのだ。すまんが、宋江の兄貴にそう伝えてくれ」

 李逵は眉を少し吊り上げて、鼻息を荒くした。

 時遷は両手を広げ、呆れた顔をした。こうなっては李逵は言うことを聞かない。

「まったく、困った奴だなあ。わかったよ、勝手にしろ」

 李逵は白い歯を見せてにっこりとした。

 子供のような、無邪気な笑顔だった。

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