108 outlaws
水火
二
凌州の二将が、梁山泊討伐の指揮官に任ぜられた。
その報は、すぐに梁山泊に届いた。呉用が各地に忍び込ませている者からの報だ。
「魏定国と、単廷珪という者のようですね」
「手をこまねいている暇はない。先手を打とうではないか」
身を乗り出し、盧俊義が言った。
凌州軍と言えば、先の曾頭市戦での際、梁山泊が運んでいた糧秣と援軍を邪魔するように出てきたのだ。調べたところ、やはり曾頭市と凌州の太守とはつながっていた。
「いや、盧俊義どのが出るまでもありません」
やんわりと盧俊義を制し、関勝(かんしょう)が笑った。
「どうしたのですか」
「いや、わしは凌州の生まれでな。その二人を部下にしていた事もあるのだ。軍師どの、ここはわしに行かせてはくれぬかな」
呉用はやや考えたが、了承した。
副将に郝思文と宣賛。兵数は五千と決まった。
関勝らが忠義堂から出て行ってからも、呉用は眉間に皺を寄せたままだった。
「どうしかしたのか。何か不安なことでも、軍師どの」
盧俊義がそれに気付いた。
呉用がやおら語りだす。
北京大名府戦で、関勝は大活躍を見せた。だがまだ日が浅いせいもあるのだろう。呉用は完全には信用しきれない、というのだ。
「それは考え過ぎではないのか」
「宋江どのは皆を信じていただいて良いのです。疑うのが私の職務でもありますから」
呉用は、林冲と楊志からなる五千をさらに出陣させた。
そこへ李逵が飛び込んできた。
「宋江の兄貴、おいらも行ってきますよ」
「待て、李逵。今回はおとなしくしておるのだ」
「何です、関勝や林冲ばっかり贔屓して。そろそろおいらの出番じゃないんですかい。何もしないと病気になっちまうんですよ」
「気持ちはありがたいが、もう決まったのだ」
だが、李逵もなかなか譲らない。こうなると駄々をこねた子供そのものだ。
宋江は、軍規を守らないと、とまで言って、はっとした。
「なんだい、おいらの首を刎ねるってのかい。ふん、おいらは鉄面孔目も鉄臂膊も怖かないからな」
李逵がそう叫び、走って出て行ってしまった。
翌日、李逵が山を下りしまったという報告があった。宋江は、口を滑らせたことに後悔するばかりだった。
「李逵も役に立ちたいのでしょう。ほとぼりが冷めれば、戻ってくるのでは」
盧俊義はそう言ってくれたが、宋江は心配でならなかった。
李逵がひとりで梁山泊を出て、何も起こさずに済むとは思えないからだ。
「だと良いのですが」
宋江は凌州戦よりも、李逵の方が心配であった。
ぷりぷりとしながら、李逵が田舎道を歩いていた。
宋江の兄貴も、ときどきわからず屋になるんだよなあ。凌州に乗りこんで敵将の首を奪ってくれば、おいらのことを認めてくれるだろう。項充と李袞も連れてきてやれば良かったかなあ。
などと考えながらしばらく行くと、腹の虫が大きく鳴いた。
李逵はしまった、と思った。勢いで飛び出してきたので、愛用の斧は持ってきたが路銀を持ってこなかったようだ。懐を探るが、出てくるのは糸くずばかりだ。
「くそう、腹減ったなあ」
気落ちする李逵の前に、ひなびた居酒屋が現れた。しめたとばかりに、すぐに飛びこみ、肉と酒を注文する。
あっという間に平らげた李逵は出て行こうとする。慌てた店の者がそれを止めた。
「すまんが、いま持ち合わせがないのだ。ちょっとこの先で稼いでから払うから良いだろう」
李逵の風貌と態度に、店の者も尻込みをする。すると奥から体の大きな人相の悪い男が現れた。
「おい、そこの黒いの。ちゃんと金を払わないと痛い目に会うことになるぜ」
「なんだお前は。誰に向かって言っている」
「お前だよ、お前。とっとと金を置いて行きな」
「だから、金はないと言っているだろう。いったい誰だ、お前は」
男はにやりとして、胸を反らせた。
「俺は梁山泊の韓伯竜さまだ。朱貴どのにこの店を任されているのだ」
李逵はきょとんとした顔で、韓伯竜を見つめた。
梁山泊の、と言ったが、こんな男を見たことはない。朱貴が、とも言っていたが本当なのだろうか。
「さすがに驚いたようだな。分かったなら、さっさと」
李逵が斧を握っていた。
韓伯竜は風を感じた。上から下へ一直線に、鋭い風を。
次の瞬間、血飛沫が舞った。
韓伯竜の体を縦に真っ直ぐ、李逵の斧が斬ったのだ。
血を噴き出しながら、韓伯竜が倒れた。
「お前など知らん。梁山泊を騙る不届き者め。怪しい匂いがぷんぷんするわい」
ふん、と鼻を鳴らし李逵が悠々と立ち去ってゆく。
店の者は、目の前で起きた事を理解できずに、しばらく立ちつくしていた。
満たされた腹を叩きながら進むと、道を塞ぐ者がいた。
李逵と同じくらいの体格で、男の方が筋肉がついているようだ。肩の盛り上がり方などは尋常ではない。
男は何をするでもなく、李逵をじろじろと舐めまわすように見ている。
また、変な野郎が出てきたな。
「おい、おいらは見せ物じゃあないぞ。誰だお前は」
「名無しだ」
体格に似合わぬ小さな声で、男がぼそりと言った。
「ふざけるな」
李逵が斧を振り上げ、男に襲いかかった。だが男は、韓伯竜のようにはならなかった。
男は表情を変えずに前へ出ると、振り下ろされる李逵の手首を掴んだ。さらに足を踏み込むように動かし、李逵の足を払うように刈った。
李逵が勢いよく地面に転がされた。攻撃の勢いを上手く利用された形になってしまった。
慌てて起き上がる李逵。付いた土を払う事もせず、また男に向かって行った。だが同じように、地面に転がされてしまった
起き上がった李逵は、男をまじまじと見やった。
男がまたぼそりと喋った。
「お前は、誰だ」
「おいらか。おいらは李逵だ。黒旋風の李逵さまだ」
「嘘だ」
「本当だ。おいらは梁山泊の李逵さまだ」
「本当なのか」
「見ろ。この斧が証拠だ」
「どこへ行くのだ」
「凌州へ、敵の首を獲りに行くところだ」
「ひとりでか」
「そうだ。宋江の兄貴と言い合いになって、飛びだしてきたのだ」
何度か問答をするうちに、男が拱手して頭を下げた。
「これは失礼をした」
どうも疑り深い男のようだったが、自分が李逵だと分かってはくれたようだ。
「分かれば良いのだ。で、お前の本当の名は何と言うのだ」
「焦挺だ」
焦挺は訥々と語った。生まれは中山府で、代々争交を稼業にしていた。一子相伝の技を受け継いでおり、李逵が投げられた技もそのひとつであるという。
もともと人付き合いもあまり得意ではなく、表情も面(おもて)に出ない性質(たち)だったので没面目と渾名されているという。
この先に枯樹山があり、そこで喪門神という者が山賊をまとめていると聞き、そこへ行って仲間になろうとした道すがらだというのだ。
「お前さんほどの腕なら、梁山泊へ来ると良いのに」
「伝手がなくて」
その言葉に、李逵が胸を叩いた。
「よし、おいらが紹介しよう。おいらのお墨付きだぞ。これから一緒に、その喪門神とかいうのも連れて、凌州へ乗り込むとしよう」
枯樹山への道をとった李逵と焦挺。
だが彼らの背後から、声がした。
「やっと見つけたぞ。宋江どのが心配してるぜ。はやく梁山泊へ戻んなよ、李逵」
時遷だった。宋江はやはり李逵のことが心配で、時遷をはじめ戴宗などを捜索に出していたのだという。
「駄目だ。凌州の敵の首を獲りに行くと、この焦挺と決めたのだ。すまんが、宋江の兄貴にそう伝えてくれ」
李逵は眉を少し吊り上げて、鼻息を荒くした。
時遷は両手を広げ、呆れた顔をした。こうなっては李逵は言うことを聞かない。
「まったく、困った奴だなあ。わかったよ、勝手にしろ」
李逵は白い歯を見せてにっこりとした。
子供のような、無邪気な笑顔だった。