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血族

 登州(とうしゅう)を騒がす人喰い虎を退治せよ。

 地元の猟師たちに期限付きで、知府から命令書が発布された。ちょうど祝家荘との戦いが始まる頃の事であった。

 その内容を知った解宝(かいほう)が、兄の解珍(かいちん)を見た。解珍は罠に使う道具をまとめていた。

「おい聞いたか、兄貴。たったの三日だってよ」

「ああ聞いたよ、宝(ほう)。まったくふざけんじゃねえって話だよな。よっと」

 ひとつしか違わない兄弟はまるで友と話すかのようだった。

 解珍が立ち上がり、罠を肩に担いだ。解宝は手に三叉の杈(さすまた)を持っていた。二人は虎が出るという山へ行き、罠を仕掛ける事にしたのだ。

「おお、両頭蛇(りょうとうだ)に双尾蝎(そうびかつ)、お前たちに期待してるぜ。早いとこ虎を仕留めなきゃ、わしらもどんなお咎めを喰らうかわかったもんじゃねぇからな」

 猟師仲間がすれ違いざま、そう言って笑った。

 両頭蛇は解珍の、双尾蝎は解宝の渾名だった。ふたつ首の蛇に、ふたつ尾の蝎(さそり)。実に物騒なこの渾名が兄弟の性格を表していた。解珍と解宝は軽く手を振り、その猟師と別れた。

 山奥まで分け入り、解珍がじっと辺りを見ている。解宝はその後ろで兄を見守っていた。やがて解珍が首を横に振り、二人は場所を移した。

 そういった事を何回か繰り返し、やっと解珍が首を縦に振った。

「ここかい」

「おそらく」

 そう言って解珍が担いでいた罠を仕掛けはじめた。

 解珍は木々の様子、草むらの様子から虎が通る道であるかどうかを観ていたのだ。こと獲物の習性については解珍の方が詳しく、罠をかけるのも上手かった。解珍の言う通りにして間違ったことはなかった。解宝はそんな兄に全幅の信頼を寄せていた。

 そして獲物がかかった時に直接仕留めるのは解宝の役目だった。兄よりも体格に恵まれ腕っ節も強く、何より気性が荒かった。

 解珍が毒を塗った弓矢を仕掛け終えると、二人は少し離れた所に潜んだ。罠のある場所の風下に移動し、気を殺し、山野と一体となった。

 二日、虎は現れなかった。だが解珍も解宝も罠を仕掛け直す事をしなかった。

 解珍が、ここだと見定めたのだ。必ず来る、と解宝は信じていた。

 東の空がほんのり明るくなった頃である。解珍と解宝は背中合わせでうとうととし始めていた。そこに物音が聞こえた。罠を仕掛けた方角である。

 瞬時に覚醒した二人は手に三叉を握り、駆けた。

 大きな虎が藪に逃げ込むのが見えた。後脚の太腿あたりに、確かに矢が刺さっているのが見えた。

「追うぞ」

「おう」

 二人は気を引き締め、近づきすぎないように追った。手負いの虎ほど危険な物はないからである。二人は息を殺し、草をかき分ける音を聞き逃すまいと耳をすませた。

 がさり、と音がした。

「向こうだ」

 解宝が先に立ち、虎を追った。

 次第に虎との距離が縮まっていった。毒が効いてきているのだ。そして視界に虎の後ろ姿が見えた。

 虎は一度、解兄弟の方を振り返り、ひと声鳴くと斜面を転がり落ちていった。

「あの先は、もしかして」

「ああ、毛太公の屋敷の裏庭だ」

 毛太公は地元の金持ちで、ここら一帯の土地も多く所有していた。だが何かと威張り腐るので、地元の猟師連中とは折り合いが悪かった。もちろん解珍と解宝も例外ではなかった。だが仕方あるまい、虎を回収しなければならないのだ。

 毛太公の表門に回る頃にはすでに日が昇っていた。しかしまだ人が起き出す時間ではなかったようだ。

 使用人の取り次ぎを受けて姿を現した毛太公は、

「解珍どのと解宝どのお二人、こんな早い時間に何のご用かね」

 と、皮肉めいた挨拶をしながら、目をこすっていた。

 解珍が、虎を追ってきた件を説明し、裏庭に入らせてもらえるように頼んだ。

「虎だと。いま近隣を騒がせている人喰い虎の事かね」

 毛太公は目を覚ましたようだ。下男に二人を客間へと案内させた。裏庭に行かないのか、という表情の二人を見て毛太公が言った。

「虎の奴も毒で動けないのだから、慌てる事もあるまい。とりあえず飯でもどうだね」

 解珍と解宝は顔を見合わせたが、ここが毛太公の屋敷という事もあり、それを承諾した。

 実際、二人も腹が減り、喉が渇いていたのだ。

 出された飯と酒をあっという間に平らげ、毛太公はその勢いに驚いた顔をしていた。

 

 人心地ついた解珍が虎の話を切り出す。

 そこでやっと毛太公は裏庭へと案内してくれた。しかし扉の鍵を開けようとするが、なかなかうまくいかない様子だった。

「長年開けてないものだから、錆びついたようだな」

 それでも何とか鍵を開け、解兄弟が飛び込むように裏庭へ入った。広い庭だった。隅(すみ)まで探す二人だったが、虎の姿は見当たらなかった。

「確かにここに落ちてきたのだが」

 納得できない口ぶりの解珍を、解宝が呼んだ。解宝が庭のある個所を指していた。

「見てくれ兄貴、ここの草が倒れている。何か重い物があったんだ。それに」

 さらに解宝が示す先に赤いものが見えた。

「こいつは血だ。虎の血か」

「さあ、もう気が済んだろう。わしは忙しいんだ、とっとと出て行ってくれないか」

 草むらを検分する解兄弟を追い出すように、毛太公が言った。

「待ってください。ここに虎がいた事は確かなんだ」

「しかし現にいないではないか。言いがかりをつけないでくれ」

「くそっ。まさかあんたが隠したんじゃあるまいな」

「なんだと、どうやって虎を隠すというんんだ。それこそ言いがかりも甚(はなは)だしいぞ。おい」

 毛太公は数十人の使用人たちを呼び、力づくで解兄弟を屋敷から追い払いにかかった。使用人が持った棒で小突かれる解宝。

「手前(てめえ)、痛ぇじゃねぇか」

 解宝が怒って棒を押し返す。するとその使用人は解宝の力に負け、後へひっくり返ってしまった。さらにその勢いで廊下に置いてあった壺にぶつかり、壊してしまったのだ。

「貴様ら、何をする」

「そっちだろうが、突っかかってきたのは」

 解宝の頭に血がのぼってしまった。わらわらと群がる使用人たちの棒をものともせず、素手でつかんでは次々と投げ飛ばしてゆく。止めようとした解珍だったが、こうなれば、と解宝の手助けをする。毛太公は喚き、使用人をさらに呼び出した。

「ここは一旦、出るぞ、宝」

「ふん、暴れたりんが仕方あるまい」

 解兄弟は廊下を抜け、玄関へと走った。

 二人が門を出ようとすると、前から馬に乗った男がやってきた。周りに何人か連れていた。

「おや、解珍と解宝じゃないか。うちで何をしていたんだね」

 騎馬の男は毛仲義(もうちゅうぎ)、毛太公の息子であった。

「あんたこそ、こんな早くにどこへ行ってたんだい」

 そう言いながらも、解珍は毛太公にしたのと同じ説明を毛仲義にした。

「そうか、私から父にもう一度話してやるよ。朝早くてお互い気が立ってたのさ」

 毛仲義が馬を下り、笑顔で二人を屋敷へ促した。そこへ毛太公が鉢合わせる。

「おお仲義か。やっと戻りおったか。で、首尾はどうだったね」

「万事うまく行きましたよ、父さん。後はこの二人です。お前ら」

 毛仲義が叫んだ。すると外から捕り手縄を持った男たちが殺到してきた。さらに屋敷内からも棒を構えた使用人が出てくる。毛仲義と共にいた男たちも得物を手にしていた。どうやら彼らは役人のようだった。

「まだやろうってのか、おい宝」

「こいつら、懲りてねぇみたいだな、兄貴」

 解兄弟が背中合わせになり杈(さすまた)を構えた。同時に吼え、足を踏み出した。

 だが、二人の足は数歩のところでもつれてしまい、膝を折ってしまった。杈も落とし、両手を地につけた。

「こ、これは、兄貴」

「ま、さか」

 動けない二人を捕り手たちが簡単に縛りあげてしまった。解珍も解宝も話す事さえ困難な様子だった。

「まったく、動物並みの鈍さだな。やっと薬が効いてくるとは。おかげで大事な壺が割られてしまったわい」

「ふふ、また買えば良いではないですか。たんまりと報奨金がもらえるのですから」

 そう言って毛親子が笑いあった。毛太公が出した食事と酒にしびれ薬が仕込んであったようだ。毛仲義が解宝の側へ寄り、にやついていた。

 解宝は毛仲義をにらみ、しびれる腕に何とか力をこめて振るった。しかしその拳は毛仲義に届かず、空(くう)を切った。

「おっと危ない。窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、というところか。ふん、わしらに歯向うとどうなるか重い知るが良い」

 解珍と解宝は地に伏したまま、意識を薄れさせていった。

 しかし二人は、毛親子の不快な笑い声だけはしっかりと覚えていた。

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