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処刑

 意外なほど呆気なく、穆弘と穆春は協力を承諾した。

 力づくででも、と考えていた薛永は拍子抜けしてしまった。

「なに、あんたと宋江どのには俺のせいで申し訳ない事をしたし、せめてもの罪滅ぼしさ」

 穆春が屋敷を出る時にそう言って笑った。穆弘は手下たちに低く、行くぞと言っただけだった。

 薛永は心配そうな顔をしている穆太公に深々と頭を下げると、彼らの後を追った。

 潯陽江へ出て舟の準備をしていると、そこへ張横の舟が現れた。客を一人乗せていた。

「そんな物々しい格好でどこへ行こうってんだい。おや、薛永どのまで一緒か」

「ちょっと、野暮用さ」

 と言ったところで穆春が目を見張った。張横の舟に乗っていた客の顔に見覚えがあったのだ。

 ふふ、と張横が笑い、同乗の男が一礼をした。

「久しぶりだな穆春。穆弘どのもお元気そうで」

「張順か、久しぶりだなあ。何だまた兄弟で商売をやろうってのかい」

 穆春はそう言ったが、穆弘は船上で腕を組んだまま黙って張兄弟を見ていた。

「そうだと良いんだがね。久しぶりの再会を祝したいところなんだが、今日は順(じゅん)の頼みでこれから人助けさ」

「あんたが人助けだって」

 驚く穆春の後ろから、穆弘が低く言った。

「宋江どのか」

「なんだ、あんたらもなのかい」

 呆気にとられたような顔で張順が言った。

 聞くと、張順は江州に服役した宋江とひょんな事から知り合いになり、酒を酌み交わす仲になったのだという。

「みすみす殺されるのを、指をくわえて見ている訳にはいかないんでね」

 当たり前の事だ、という風に張順は言った。

 張兄弟と穆兄弟がいよいよ舟を出そうという時である。そこへ、さらに別の舟が近づいてきた。

「おう、俺たちも江州へ行くんだ。一緒に暴れようじゃねぇか」

 舟の舳先にいた童威が叫んだ。童猛が櫓を操り、中ほどに李俊と李立が乗っていた。

 李立は、店の客が宋江処刑の件を話しているのを聞いた。真相を確かめようと、李立はその客に薬を盛り、縛りあげ問い詰めた。

 処刑の話は本当のようだった。そこで急いで手下を李俊の元へと走らせたという訳だ。

 なんと、穆兄弟だけだと思っていたが、これほどまでに人手が集まるとは。

 掲陽鎮の顔役、潯陽嶺の顔役、潯陽江の顔役がそろったのだ。これほど心強い事があるだろうか。

 李俊が号令をかけ、舟が動き出した。このまま潯陽江を下り、江州を目指す。

 薛永の、棒を握る手に力が入った。

 

 李逵が斧を振るう度に血が飛び散り、官軍が倒れてゆく。

 李逵は官軍の攻撃を防ぐこともせず、ひたすらに突進してゆく。

 少し離れた場所で同じように官軍に突進している男がいた。ひたすらに無言で、手にした刀を振り回している。大きな体躯を活かした重厚な攻撃に、官軍は楔(くさび)を打ち込まれたように割れてゆく。

「さすがは没遮攔だな。だがこっちも負けてられねぇな。行くぞ、お前ら」

 李俊の言葉に応じ、童威、童猛そして李立が岸に飛び移った。三人は手にした板刀で群がる官軍を斬ってゆく。

 そこへゆっくりと李俊が岸へと足を下ろした。押し寄せる何千もの官軍などいないかのような素振りで宋江を見た。そして意味ありげににやりと笑うと刀を抜き、雄叫びと共に官軍に突進していった。

「宋江どの、ご無事で何よりです」

 薛永が宋江の元へ辿りつき、そこへ張横と張順もやって来た。

 その目の前を李逵が血飛沫を巻き散らせ、駆け抜けて行った。

「へへ、やっぱ陸じゃああいつには敵わねぇな」

 そう笑って宋江に襲いくる官軍を斬って伏せる。

「お前だって十分強いさ、順。あの黒旋風が化け物なのさ」

「慰めにもならねぇよ、兄貴」

 張順の刀がまた一人を斬り伏せた。

 宋江と戴宗が船に乗り込んだ頃、石勇が指をさして叫んだ。

 見ると江州城の方から新手の部隊が来たようだ。数百もの兵が隊伍を組み、槍を手にしていた。隊長格の号令で、槍の穂先が一斉にこちらに倒された。

 だが李逵はそれを見ても止まることなく、目を血走らせ吼え狂った。

「無茶だ。李逵の援護をするんだ」

 晁蓋が叫び、花栄、黄信、呂方、郭盛がそれに応えた。

 呂方と郭盛が李逵の左右に付き、画戟を突きだしながら駆ける。黄信と花栄が李逵の後ろを駆ける。

「いま敵は四、五千というところ。だが城内からはまだ援軍が来るだろう。いくら我ら一人一人が強くとも、これでは寡兵すぎる」

「うむ。だがここが勝機でもあるのだ、黄信」

 花栄は駆けながら矢をつがえた。

「李逵、止まるのだ」

 後方で叫ぶ宋江の声も届いていないのだろうか。李逵は槍の壁の真ん中へと突進してゆく。槍を持つ兵たちがざわついていた。あの男は止まらないのか。馬鹿な、斧で槍に立ち向かうなど。

 しかし李逵は足の勢いを緩めることなく、さらに吼え猛る。ざわつきは明らかな動揺となり、槍の構えにぐらつきが見えた。

「呂方、郭盛そこだ」

 花栄の合図で二つの画戟が李逵の前で斜めに交差された。槍とぶつかる寸前に下に潜り込ませ、駆ける勢いを利用して一気に目の前の槍を跳ね上げた。

 一か所、たった一か所、李逵が突入する隙間を空けたかったのだ。

 槍を失い無防備となった兵に李逵が襲いかかる。槍を跳ね上げられた驚きと、眼前に迫る李逵の恐怖で目を見開いたままの兵の首が宙に舞った。

 そこで十人ほどが斧の餌食になったが、そこから進むのが難しくなった。左右からの兵を呂方と郭盛がそれぞれ抑えてはいるが、それでもこの数に抗すべくはなかった。

「すまぬ、背を借りるぞ、李逵よ」

 李逵の肩を飛び越え、黄信と花栄が中空から官軍に襲いかかった。

 さすが軍人と言うべきか、群がる蟻のような敵の猛攻をかいくぐり、黄信の喪門剣が徐々に活路を見出してゆく。

「花栄、あそこだ」

 黄信が剣である方向を指し示した。兵たちの遥か後方にいる、馬上の将であった。

 うむ、とひと声言うと、花栄は呆気ないほど素早く矢を放った。

 矢は空気を切り裂き、正確に馬上の将の眉間を打ち抜いた。

「何て腕前だ」

 李俊のその言葉に、宋江は自慢げな顔をしていた。

 馬上の将がどさりと地面に落ちた。

 それが合図であったかのように、官軍たちが一斉に逃げ出した。

 李逵たちを足止めしていた力が弱まった。

 李逵が逃げる官軍を追いかけ、呂方と郭盛もそれに続いた。

「李逵に続け」

 晁蓋が刀を天に突き上げ、叫んだ。

 宋江は見た。

 そこに紛(まご)うことなき托塔天王の姿を。

 梁山泊の頭領にふさわしい晁蓋の姿を、そこに見たのだ。

 

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