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邂逅

 夕日が西の空を紅く染め上げていた。

 美しかったが、そんな事を考えている暇はなかった。

 暮れなずむ山道を宋江は急ぎ足で歩いていた。うっかりと宿場をやり過ごし、日が落ちかけている。このままでは野宿せざるを得なくなってしまう。夏ならばいざ知らず、今は冬。さらに独り身での旅である。

 歩いていると、宋江は何かにつまづいた。すると突然、辺り一帯に鈴の音が鳴り響いた。

 山を越えることに気が向いていたのと、暗いせいもあったのだろう。足もとに張られた縄に気がつかなかった。

 がさがさと木々が揺れ、中から屈強な男たちが次々と現れた。

 山賊だ。宋江は抵抗する間もなく、口をふさがれ縄をかけられると、山中へと引っ立てられて行った。

 山賊たちが去った後、山道は何事もなかったかのように西日に照らされており、やがてすべてが闇の中に没した。

 

 清風山の頂上付近に山寨が築かれていた。中央に建物があり、その周りには百あまりの部屋を連ねた家が建っている。さらにそれを木柵が囲っており、広場には明々(あかあか)と炎が灯されていた。

 宋江は中央の建物に入れられ、大黒柱にくくりつけられた。前には床几が三つ据えられており、虎の皮が張られていた。

「親分たちがお目覚めだ」

 山賊たちがさっと脇へ避け道を開けた。

 大きな男が現れた。

 目は大きく鋭く、眉が太い。髪をざんばらに伸ばし、上着を肩に羽織っている。

 宋江を一瞥し、男が言った。良く響く声だった。

「野郎ども、この牛はどこで手に入れた」

「はい、少し前に仕掛けた鈴が鳴ったので行ってみたら、こいつだったんです、燕順(えんじゅん)の兄貴」

 ふむ、と宋江の顔をまじまじと見る燕順。

「親分たちの酔い覚ましに、生き胆の吸い物でもと思いまして」

「それは良い。昨日はちょっと飲みすぎたからな」

 山賊の提案に笑う燕順。猿轡(さるぐつわ)の宋江は、ううと唸るばかりで何も言葉にならない。

 続いて二人の男が入ってきた。

「兄貴、おいらたちにも残しといてくれよ」

 背の低い男が歩きながらそう言った。五尺ほどの背丈で、宋江よりも小さいのではないだろうか。

「なんだ、お前も肝吸いが欲しいのか、王英(おうえい)」

 へへ、と王英と呼ばれた背の低い男が笑った。

「俺はいらないよ、燕順の兄貴と王英とで分けてくれ」

 もう一人の、色が白くすらっとした男が言った。

 どこか憂いを帯びた目をしており、この山寨には似つかわしくないほどの美男子だった。

「そうかい、じゃあ鄭天寿(ていてんじゅ)の分はおいらがもらうぜ」

 ははは、と豪快に笑う燕順。王英と鄭天寿もともに笑う。

 笑い事ではない。宋江はまさに肝が冷える思いで三人の頭領の会話を聞いていた。

 やがて子分が水を張った桶を運んできた。子分が、宋江の上着の胸をはだけさせる。

「まずは冷水で肝の熱を散らさなきゃ、美味くねぇんだ」

 まるで宋江に説明するように、その子分が言う。口元は笑っているが、冗談で言っているのではない。目は真剣そのものだ。

 そして宋江の鳩尾あたりに水をかけ始める。

 冷たい。肝どころか体中に悪寒が走る。

 しかし宋江は唸ることしかできない。

 こんな所で果てるのか。そう思いながらも抵抗を試みる宋江。体を左右に揺らし、何とか縄を緩めてみようとする。

「おい、動くんじゃねぇ」

 子分が宋江を抑えるがそれでももがいた。

 がさり、と何かが落ちたような音がした。

 待て、と燕順が言った。

「そいつの着物から何か出てきたな。こっちへ持って来い」

 へぇ、と子分がそれを燕順に手渡す。燕順がそれを受け取り、広げてみる。

 これは、と燕順が唸り、立ち上がった。

「おい、そいつを殺すんじゃない。早く縄をほどくんだ」

 王英と鄭天寿が燕順を見て、同時に尋ねた。

「兄貴、どうしたんだい」

「燕順の兄貴、一体」

 宋江は解放された。

 殺されるという恐怖と解放された安堵からその場に膝をついてしまう。とにかく助かったようだ。

「兄貴、一体なんだってんだよ」

 肝吸いを逃がした王英は怒り気味で燕順に言う。

「この男は、及時雨(きゅうじう)の宋江どのだ」

 え、と王英が宋江を見る。

「この人が、宋江どのなのかい」

 ぼそりと鄭天寿が言った。

 宋江の着物から落ちたもの、それは手紙だった。

 白虎山の孔兄弟の屋敷から清風寨に行くにあたっての、旧友からの返書であった。そこに及時雨の宋江宛て、などと書かれていたため、燕順がそれに気づいたのだ。

 燕順が拱手して宋江に詫びた。

「いや、すまない宋江どの。あんただとは露知らず、危うく肝をいただいてしまうところでした」

「ともかく、助かった。しかし、どうして解放してくれたのです」

 燕順が説明した。

 梁山泊で新しく頭領となった晁蓋を、機転を利かせて救ったことは山賊たちの世界でも広まっており、燕順らもその噂は聞き及んでいた、と。そして一度その義侠心あふれる宋江に会ってみたいと思っていた、というのだ。

 宋江は、そうですかと言いながら困惑した。

 よもや自分が仕出かした事が、このような形で江湖(こうこ)に広まっていようとは。もっともそのおかげで命を拾ったのだが。

 王英がしげしげと宋江を眺めている。

「へぇ、あんたが宋江どのか。思ったよりも小さいんだな」

「おい王英、お前が言うんじゃない」

 鄭天寿が真顔でそう言い、一同がどっと笑った。

 宋江は笑って良いものか複雑な顔をしていた。

 宋江が用意された席に腰を下ろすと、酒がまわって来た。

「宋江どの、お詫びといってはなんだが、今晩はたんまりと飲んでくださいよ。ちゃんと肝吸いも用意しておきますから」

 宋江は、思わず酒を噴き出してしまった。

「冗談ですよ、冗談」

 ははは、と燕順が豪快に笑った。

 その表情は、とても冗談で言ったとは思えないものだった。

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