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血闘

 施恩が忙しく立ち働く給仕たちを見ていた。

 どの卓も客で埋まっており、これまで以上に繁盛していた。

 武松も施恩と共に卓についてその様子を満足げに見ていた。

「兄貴、どうぞ」

 施恩はそう言って武松に酒を注いだ。

 蔣門神から快活林を取り戻した後、すぐに施恩は武松と義兄弟の契りを結んでいた。

 日は巡り、星が移り変わる。

 炎暑の時節が終わりを告げ、風が涼しさを帯びてきた。あれからひと月あまりが過ぎ、施恩の腕にはもう包帯は巻かれていない。

「いまさらですが兄貴、どうして蔣忠を討つ前にあれほどの酒を飲んだのですか」

 施恩は下男からの報告を聞いて、ずっと疑問に思っていたようだ。

 武松は手にした杯を干し、施恩がそれに酌をする。

 酒が飲みたかっただけだよ、と施恩を笑わせて武松は目を細めた。

「虎を討った時もそうなのだが、どうも俺は飲めば飲むほど冷静になれるようなのだ。それにあの時は」

 と言いかけた時、店に一人の兵が入って来た。

 店の者に、武松はどこだと尋ねている声が聞こえた。

 施恩は、その兵の顔に見覚えがあった。父の上役に当たる兵馬都監(へいばとかん)、張蒙方(ちょうもうほう)の部下であった。

「すみませんが、どうして武松どのを探しておられるのです」

 施恩の問いに兵が答えた。

 曰く、武松の豪傑ぶりを聞いた張蒙方がぜひとも会いたいという事で探していたのだ、と。

「俺は囚人の身、どこへなりとも行きましょう」

 武松はその兵について行ってしまった。

 残された施恩は一抹の不安を覚えた。武松が近くにいない、という不安だったのか、それとも予感めいたものだったのかは、わからなかった。

 施恩は、無意識に右腕を擦っていた。

 

「お主があの門神を倒したという武松か。ぜひとも私の近侍(きんじ)になってもらいたい」

 孟州城内の私邸で武松を見た張蒙方は、開口一番にそう言った。

 いかにも武人らしい男で、立派な口ひげを蓄えていた。

 施恩の店でも言ったのだが、武松は流罪に処された囚人の身、断ることはできなかった。

 しかしそれは破格の待遇であった。

 翌日から、武松は屋敷で寝泊りするようになった。張蒙方も武松を身内同然に扱い、毎日のように酒食でもてなし、武芸談議に花を咲かせた。

 武松は忙しく働き、施恩とも会わなくなっていった。

 夜風は冷たさを増し、蟋蟀(こおろぎ)の歌がそれに乗って聞こえてきた。

 中秋の時節、月が夜空でその姿を誇っている。

 鴛鴦楼(えんおうろう)の間(ま)、張蒙方の私邸の奥にある部屋で宴席が開かれていた。

 そこへ武松も呼ばれていたが、ほかに張蒙方の夫人をはじめとする女性たちが大勢いたため、末席で小さくなっていた。

 張蒙方は武松に、遠慮するなと言い、下男に銀の大杯を持ってこさせるとそれに並々と酒を注いだ。

「豪傑の酒盛りにはこれぐらいでなければ」

 張蒙方は笑い、武松も飲むほどに肩の力が抜けたようだった。

 月の光が東の窓から差しこみ出したころ、張蒙方が玉蘭(ぎょくらん)という小間使いを呼んだ。

「中秋の名月にちなんだのを歌ってくれ」

 張蒙方の言葉に、はい、とか細く返事をする玉蘭。

 象牙の拍子木を手に一同の前へ進み出ると、軽く一礼をした。

 桜桃のような小さな唇から、朗々とした歌声が響きだした。

 歌は東坡学士の中秋水調歌。

 ほう、と武松が関心を示した。小柄な体の玉蘭であったが時に明朗に、時に郷愁を帯びるその歌声に、場にいる者は皆、酒を飲む事を忘れるほどであった。

 玉蘭が歌い終え、一礼をする。すこし遅れて喝采が起きた。誰もが歌の余韻に浸っていたのである。

 玉蘭が一同に酌をして回った。やがて武松の元へもやって来て、銀杯に酒を注いだ。一人だけ大杯で飲んでいる武松を見て、うふふ、と玉蘭が笑った。

 近くで見るとやはり小さく、美しいというよりも楚々とした雰囲気だった。ただの小間使いにしておくには惜しいのではないか、と武松は酒を飲みながら思った。

 それに気づいたのか、張蒙方が武松に言った。

「この玉蘭は歌だけではなく針仕事なども堪能で、なかなか気がつく女でな。もしその方さえ良ければ、妻に取ってはいかがかね」

 突然の提案に目を大きくする武松。

「いや、この私が都監さまのお身内をいただくなど滅相もございません」

「何を言っておる、遠慮は無用だと何度も言っておろう。よし、決めたぞ。わしが言ったからにはもう決まりだ。よいな武松」

 そして玉蘭もだ、と張蒙方は強引に決め込んでしまった。

 武松はなんと言って良いのやらわからず、酒を呷るしかなかった。

 玉蘭も突然の事に驚いて、袖で口元を隠しながら恥ずかしそうにするばかりだった。

 

「すみません。都監さまは言い出したら聞かなくて」

 武松を寝室へと案内した玉蘭が言った。

 宴席がお開きになった後、寝室まで見送るように、と命じられたのだ。

「こちらこそ、すまない」

 部屋に入った武松は明かりも灯さずに言った。

「明日にでも断りを入れようと思う。酒の席での話だ、張都監どのも冗談半分だったのさ。ましてや俺のような囚人の身に、あんたなど勿体ない」

 玉蘭は着替えなどを机に置き、外に出ると扉を閉めようと手をかけた。

 そして最後まで閉め切らずに手を止めると、

「私は、嬉しかったですよ」

 ぽつりと言って、頭を下げると戸を閉めた。

 玉蘭の足音が遠のいてゆく。

 武松は大の字に寝台へ転がると、目を閉じた。

 窓から差し込む月明かりが、瞼を通して微かに感じられた。

 玉蘭の歌が聞こえたような気がした。

 

 物音で目が覚めた。

 廊下で人々が走る音が聞こえ、屋敷内のあちこちでも騒がしい物音が聞こえてくる。

「賊だ、賊だ」

 突然、大きな声で誰かが叫んだ。その声に武松は飛び起きると、廊下に飛び出した。

 普段から良くしてもらっている張都監の役に立てればと思い、賊の影を探した。

 遠くの方で、中庭に逃げたぞ、という声がした。武松は急いで中庭へと向かった。

 武松が一番乗りだったようだ。

 月明かりの下、周囲を見渡すが賊らしき者は見当たらない。すでに逃げてしまったのだろうか。

 いたぞ、という声が背後からした。その瞬間、足に何かが絡みつき、武松は地面に転がった。

 見ると、それは捕り物に使う絡め縄であった。そこへ八人ほどの兵たちが駆けつけ、武松を押さえつけると、がんじがらめに縄をかけてしまった。

「引っ立てろ」

 庭に面した廊下に張蒙方が立っていた。腕を腰にあてがい、顔は怒気を帯びている。

 抵抗できぬまま張蒙方の前に引き出された武松は、

「賊ではありません。私です、武松です」

 と叫んだ。

 しかし張蒙方の目は、いつもの目ではなかった。道に放置された痩せこけた犬の骸(むくろ)を見るような、蔑んだ目だった。

「あれほど普段から目をかけてやっていたにもかかわらず、恩を仇で返すとは。罪人はやはりどこまでいっても罪人なのだな」

 何を言っているのだ。張都監は、自分が賊だと言っているのか。何もしていない。俺は賊を捕らえようとここへ来ただけだ。

 弁明をしようとした武松の前に行李(こうり)が運ばれてきた。

「こやつの部屋にあった行李です。ご覧ください」

 と兵が蓋を開け、中身をぶちまけた。

 はじめは着物が出てきた。武松が張都監にもらったものである。

 そして廊下に金属音が響いた。銀の食器や皿、そして酒宴で使った銀の大杯が転がり出たのだ。金(かね)にして一、二百両あまりにはなるであろうか。

 張蒙方が顔を紅潮させて怒鳴る。

「これでも白(しら)を切る気か。虎殺しの英雄と聞いていたが、とんだ食わせ者だったようだな。牢にぶち込んでおけ」

「都監さま、私は無実です。どうかお考え直しを」

 そう訴える武松だったが、張蒙方は一切取り合わず、背を向けると奥へ消えた。

 俺は無実だ、と叫ぶ武松を玉蘭が遠くの方から見ていた。その目は驚きと憂いの色に満ちていた。

 武松の叫びが遠のいてゆく。奥の座敷牢に拘留されるのだろう。

「武松さまが、そんなまさか」

 なにかの間違いだわ、と玉蘭が月を見上げた。

 月は静かに、夜空で輝きを放つだけであった。

 

 施恩が駆けている。

 胸元に重そうな包みを抱え、必死の形相で走っている。

 施恩は、とある家の前に着くとゆっくりと呼吸を整え、袖口で額の汗をぬぐった。

「康(こう)どの、おられますか。私です、施恩です」

 顔を出した康は慌てることなく、やはり来ましたね、と言い施恩を中へと招いた。

 この康という男、牢役人をしており施恩とは親しい仲であった。

 客間に通された施恩は卓の上に持っていた包みを広げた。中から現れた銀子が鈍い光をたたえている。

「二百両はある。これで兄貴を、武松どのを救ってほしい」

 施恩は康の前に平伏した。慌てて助け起こす康。

「大丈夫です。武松どのは無事ですよ、今のところは」

 康がそう言い、施恩を落ち着かせると茶を置いた。すまない、と施恩が茶をすする。

 そう言われたが、施恩は内心気が気でなかった。

 昨日、武松捕らわる、という報を聞いた。

 武松が張蒙方の邸宅に呼ばれてから、一度も会っていなかった。何度も武松と連絡を取ろうと使いを送ったり、自ら出向いたのだが、一目会う事もかなわなかった。そしてあっという間にひと月が過ぎ、その報せを聞いたのだった。

 驚き慌てた施恩はあらゆる手を使って真相を探った。そして出た結論にさらに驚くことになった。

 すべては仕組まれていたのだ。

 蔣忠を打ちのめされ、快活林の利権を施恩に奪われた張団連は、恨みを晴らすために張蒙方を丸めこんだ。

 これまでに快活林で得た金を存分に使い、また張蒙方も同姓のよしみという事で手を貸すことを決めたようだ。

 張蒙方宅に武松を住まわせ、油断させたところを賊として捕らえた。もちろん行李の中の銀食器などは張蒙方の手下が入れていたのだ。

 さらに張団練は牢の役人たちにも金をばらまいた。武松は首枷はおろか、両手両足にも枷をかけられ、身動きのできない状態にあるという。裁きを待つまでもなく、牢内で始末をしてしまうつもりなのだろう。

「それで、今のところ、というのは」

 施恩は康の言葉が気にかかっていた。康は茶を飲み、神妙な面持ちになる。

「この件を担当している葉(しょう)という孔目がおります。彼は義に厚く実直な人で、武松どのが冤罪であることを見抜き、誰にも手を出させないようにしております。ですが張団練は何としても武松を亡き者としたいはず。施恩どの、手を打つならばお急ぎなさい」

 武松に言われた言葉を思い出す。

 やると決めたなら、すぐにやるのだ。

 施恩は迷うことなどなかった。武松を救うと決めたのだ、そしてそのために自分ができる事すべてをやるのだ。

 康の家を出た後も、施恩は奔走した。葉孔目に渡りをつけ武松の件を打診し、また牢役人たちにも金を握らせた。

 府尹は、この件の実情を葉孔目から説明され、すっかりあきれ返ってしまった。内輪もめではないか。

 もとより窃盗で死罪にできるはずもなく、府尹は武松を恩州への流罪とする判決を下し、終わらせることにした。

 施恩が可能な限り手をまわし、釈放までではないが罪の軽減を図ってくれた。武松の元を訪れた康牢番がそう知らせてくれた。

 そうか、とだけ武松はつぶやき、目を閉じたという。

 快活林の店で判決を聞いた施恩は胸をなでおろした。

 牢役人たちも施恩には好意的で、張団練の手の者も近付く事が出来なかったようだ。

 施恩が一息つき、外へ出た時である。

「よう、お坊ちゃま」

 はるか頭上から声をかけられた。振り仰ぐまでもない、聞き覚えのある声だ。

 施恩は、さっと後ろに跳びすさり、声の主を目にした。

 やはり、それは蔣忠であった。

「貴様、この快活林に足を踏み入れたらどうなるか、わかっているのか」

 蔣忠はにやにやと口元を歪めている。

「確かに約束したさ。だが、あの武松の野郎は牢の中だ。あんたが俺をぶちのめしてくれるのかい」

 蔣忠がゆっくりと足を踏み出す。

 首をごきりと鳴らし、指をばきばきと鳴らしながら一歩ずつ施恩に近づいてくる。

 施恩の部下たちが棒を持って現れたが、蔣忠の配下たちに制せられてしまった。

 施恩は右足を後ろに引き、構えをとった。

 武器はない。

 拳を握った。

 やるしかない。施恩の目が鋭く光った。

「ほう、良い目をするようになったな。だが虎の子は所詮虎の子よ。今度は右腕だけじゃすまねぇぜ」

 思わず右手を触ってしまう施恩。

 頬を汗が伝う。

 おお、と叫び施恩が駆けた。

 

 二ヶ月後、武松が首枷をつけられ、護送役人ふたりに連れられていた。右手は枷に固定されており、左手だけが自由な状態だ。

 恩州は、北京大名府の北西にあたる。

 これから寒くなってくる。長い道のりになりそうだ。

 と、三人の前にひとりの怪我人が姿を現した。

 鼻柱に膏薬を貼り、左腕を首から包帯で吊っていた。

 その男が、大きな荷物を持ってこちらにやってくる。右足を引きずっており、足も怪我をしているのだろうか。

「兄貴、よくぞご無事で」

「施恩か、その姿は一体」

 その怪我人は施恩だった。

 持っていた荷物を武松に手渡す。旅の間の、そして恩州での冬支度などが入っているという。

 役人と少し離れた場所に武松を連れて行き、施恩が話した。

「蔣忠にやられました。あれから少しは強くなったつもりでしたが」

 このざまです、と苦い笑いを浮かべた。武松は何も言わなかった。

 施恩がさらに声をひそめ言った。

「気をつけてください。奴らがこのまま兄貴を放っておくとは思いません」

 うむ、と武松は言い、役人たちが早くしろと急かしてきた。

「お気をつけて」

 もう一度施恩がそう言い、武松が微笑んだ。

「強くなったな、弟よ」

 施恩は見えなくなるまで武松を見送った。

 金色(こんじき)を帯びた目からは、涙がとめどなく溢れていた。

 

 二人の男が後ろからついて来ている。

 孟州の町を出て八、九里ほど歩いた時にすれ違った男たちだ。腰には朴刀をたばさみ、護送役人と何やら目で合図をしあっているようだった。

 武松はそれに気づかないふりをして歩き続けた。

 しばらく行くと木の橋がかかった広い川に出た。近くの牌楼の額には、飛雲浦(ひうんぽ)という文字が書かれていた。

 武松が橋に足をかけた時、背後で刀を抜く音がした。

 武松が横目で川面を見た。朴刀を振りかぶった男の姿が水面に揺れていた。

 武松はふいに後ろに下がった。背中が刀を持った男の胸にあたり、驚いたその男は刀を取り落として、よろめいてしまった。

 武松は回し蹴りを食らわせると、その男を川の中へと落とした。

「野郎」

 それを見たもう一人の男が襲いかかって来たが、同じように川の中へ蹴り落とされた。

 そして武松は左手で首枷をつかむと、気合と共に首枷は菓子のように真っ二つにへし折ってしまった。

 ついで右腕の枷も外すと、朴刀を拾い上げた。

 驚いたのは護送役人たちだ。一人は腰を抜かし、一人はその場からの逃走をはかった。

 しかしあっという間に追いついた武松に背中を殴られ、そのまま泡を吹いて倒れてしまった。その男の背骨はあり得ない方向に曲がっていた。

 武松は腰を抜かした役人を一刀のもとに斬り捨てると、川へと入った。

 刺客の一人を突き刺し、最後の一人の胸倉を鷲掴みにすると、高々と持ち上げた。

「誰の差し金だ」

 刺客は隠すことなく喋った。

 自分たちは蔣門神の弟子で武松を殺すように命じられたこと。そして蔣忠と計画者の張団練は張蒙方の屋敷で報告を待っていること。泡を飛ばしながら話し終えると、命ばかりは、と懇願した。

「駄目だ」

 武松は冷たく言い放ち、放り投げた男を切り捨てた。

 施恩の予感が当たっていたということか。

 このままあの三人を許すわけにはいかない。武松はもと来た道を大股に歩きだした。

 手にした朴刀からは血が滴り落ちていた。

 

 張蒙方の屋敷に着いたのはすでに夜。家々の戸は閉められ、明かりが灯されている。

 武松は裏口へと回り、がたがたと裏戸を揺すぶった。

 こんな自分に誰だ、と戸を開けた馬丁(ばてい)を切り捨て、中へ忍び込む。

 闇に隠れながら武松は奥へと進んでゆく。

 勝手知ったる他人の家、である。

 廊下の向こうから女中たちがやって来る。死角に隠れ、耳を澄ます武松。

 どうやら張蒙方たちの酒宴が終わらず、ぶつくさと文句を言っているようだった。

 三人は鴛鴦楼の間にいる。

 女中をやり過ごした武松は梯子段に足をかける。獲物を狙う虎のように気配を消し、ゆっくりと鴛鴦楼に近づいてゆく。

 部屋の中から笑い声が聞こえる。声の数から、中には三人だけのようだ。

 襖を一気に引き開け、朴刀を手にした武松が鴛鴦楼の間に乗り込んだ。

 武松の目に真っ先に飛び込んで来たのは蔣忠だった。

 叫び終わる暇もなく、かけていた床几ごと叩き斬られて果てた。

 そして返す刀で、横にいた張蒙方の首めがけて刃を飛ばす。

 かっ、という声にならない声と共に張蒙方の喉から噴水のように鮮血が溢れた。

 武松はそれを頭から浴びる事になった。

 その時、ふいに背後で声がした。

「危ない、武松さま」

 振り向いた武松が見たのは、張団練の刀で体を貫かれた玉蘭の姿だった。

 

 武松が部屋に飛び込んできた時、ただひとり反応できたのは張団練だけであった。

 張蒙方の首を切りつけた後、一瞬であるが噴き出す血に武松の視界が遮られた。その隙を狙い背後から刀で突き殺そうとしたのだ。

 しかし部屋にいたのは三人だけではなかった。

 酒の酌をさせられていた玉蘭がいたのだ。

 玉蘭は武松と張団練との間に飛び出した。

 武芸などもちろんできる訳もない、大の武官にかなうはずもない、しかしそんな事を思っている暇はなかった。

 思うよりも体が動いていた。

 張団練は刀を玉蘭に突き刺したまま、その首を刎ねられた。

 崩れ落ちる玉蘭を支える武松。

「玉蘭、お前」

 何か言おうと、唇を動かしているが、息だけが漏れてくる。

 玉蘭は笑っているような苦しんでいるような、どちらとも言えない目で武松を見ていた。

 やがて瞳から光が失われ、唇も動かなくなった。

 叫んだ。

 玉蘭を腕に抱いたまま、武松は叫んだ。

 その声は屋敷中に響き渡り、それに気づいた張蒙方子飼いの兵たちが武器を手にやって来た。

 そこで彼らが見たのは、全身を血に染めて咆哮する、地獄の鬼神そのものであった。

 

             

 

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