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急襲

四

 宋江への報告書を作成していた蕭譲が顔を上げた。城内が慌ただしい。

 部屋を出、通りかかった者を呼びとめた。

 敵襲。その言葉に心臓が早鐘のように鳴った。

「花栄どの、林冲どの」

 二人はすでに出陣間際であった。花栄と目を合わせ、林冲が先に出て行った。

 花栄はいつもの爽やかな笑顔で、

「慌てるな。すぐに片付けてくるよ。それまでお主が宛州城と陳瓘どのを守るのだ。頼んだぞ、蕭譲」

 私が、城を守るだって。

 鼓動は相変わらず早いが、花栄に言われたのだ。覚悟を決めるしかあるまい。

「一体、何事だ」

 陳瓘が唾を飛ばしながらやってきた。

「王慶軍のようです。ですがご心配めさるな。林冲どのと花栄どのが、すでに向かっております。あの二人ならば」

 かつて禁軍で最強と呼ばれた林冲、それに国一番の弓の名手、花栄か。

「確かに心配はいらんな」

「ええ」

 執務室で報告を待つ。だが、伝令がもたらしたのは吉報ではなかった。今度は北方向からの敵襲、数はおよそ三万。

 思わず立ち上がる蕭譲と陳瓘。

「どうするのだ」

 陳瓘の声がやや上擦る。

 蕭譲は、呂方と郭盛に迎え討たせることを決めた。

 地図を広げた。報告によると、初めの敵は山南方面から、そして次が均州方面からだ。

 地図を睨んでいた蕭譲たちに、またも敵襲の報がもたらされた。今度は鞏州方面からだという。

「我々が出よう」

 郝思文と宣贊が名乗りを上げた。だが蕭譲は唇を噛んだ。二人に頼りたい。しかし兵は残り一万。しかもその大半は住民や老人たちだった。

「孫安どのに救援の伝令を送っては」

 陳瓘が言った。蕭譲は応じかけたが、考えなおした。いま孫安軍は山南だ。距離も時間も、間に合うはずもない。

 どうする。どうすればいいのだ。

 お主が宛州を守るのだ。

 ふと花栄の言葉が蘇った。

 頭の中で、何かが光った気がした。

 これは、いや。そんな事、無理だ。いや、しかし。

 奥歯を噛みしめ、やがて蕭譲が顔を上げ陳瓘を見た。

「覚悟は、ございますか」

 いつもと違う、蕭譲から感じる気迫に一同が固唾を飲んだ。

 

 花栄と林冲が北の敵に向かって駆ける。

 見えた。

 林冲が目を眇める。

「中央の男、危険な匂いがするな」

「そのようだな。では試してみよう」

 花栄が弓を満々と引き絞り、矢を放った。矢は真っ直ぐに、中央の男めがけて飛んだ。だが矢は、寸前で弾き飛ばされてしまった。

 花栄の眉がぴくりと動いた。避けようともしないだと。確かに、林冲の言った通りの男のようだ。

 中央の男、縻甠は蠅でも払った後のように、涼しい顔をしていた。

 風のように林冲が飛び出した。

「次は私が」

 聞こえた時には、縻甠とぶつかる寸前だった。並の者では見切る事のできない蛇矛の一撃。縻甠は、それを喰らった。

 しかし林冲の表情が硬い。かたや縻甠は笑みを浮かべている。

 蛇矛は確かに縻甠を捉えていた。だが致命傷ではない。

 林冲はさらなる攻撃を繰り出そうとした。だが左右から闕翥と翁飛が加勢してきた。

 蛇矛を引き戻し、二人の攻撃を弾く。そこへ縻甠の大斧が振り下ろされた。だがそれも蛇矛が弾く。そしてそのまま蛇矛を回し、今度は攻撃に転じた。

 縻甠は前に出る事で間合いを外した。蛇矛は肩口を斬り裂くだけだった。

 林冲の顔がますます硬くなる。

 考えていた以上にこの男、厄介かもしれない。今の動きさえ、できる者がどれほどいるというのだ。攻撃を前に出てかわすなど。

 しかもこの男、瞬きひとつもしていなかったのだ。

「さあ、来いよ」

 そう言いながら縻甠が大斧をゆらゆらと揺らしている。さらに闕翥と翁飛が左右に広がり、林冲を挟みこむ形となる。

 そこへ花栄が飛び込んできた。二対三の乱戦となった。蛇矛と斧と槍と、一瞬でも気を抜くことのできない攻防だ。

 だが警戒すべきは縻甠だけだ。闕翥と翁飛は軍人のようだが、林冲と花栄に敵うはずもなかった。

 闕翥が腕を上げ、指示を出した。率いてきた兵の一部が、こちらに向かって駆けてきた。さらに翁飛が指示を出すと、別の一隊が持ち場を離れた。

「突っ込め」

 闕翥のかけ声で、その二隊が林冲たちめがけて突進してきた。闕翥ら三人はすでに退避している。

 林冲、花栄は正面からそれを迎え討つ。

「やるしか、ないな」

「生き延びたら、酒でも飲みましょう」

「うむ、奢ってやるよ」

 怒濤の如く押し寄せる敵兵に向かって、花栄が矢を放った。まさに矢継ぎ早。目にも止まらぬ速さで幾本も矢を放ってゆく。その度に、敵兵が馬から落ちてゆく。

「やはり、大して減らないか」

「そんな事はない。二十は減った」

 ふふ、と笑い、花栄が槍を握る。林冲も蛇矛を構えた。

 林冲と花栄が怒涛の如く押し寄せる敵兵に飲みこまれた。

 だが、林冲と花栄は得物を振るい、兵たちを次々と倒してゆく。波の中央に亀裂が入り、ついに林冲と花栄たった二人で敵の軍勢を割ってしまった。

「化け物かよ、あいつら」

 見ていた縻甠が漏らした。

 闕翥が号令を発すると、今度は兵が林冲たちを囲むように動いた。馬上で背中合わせになる林冲と花栄。

 囲む輪が徐々に小さくなり、二人を押し包んでゆく。

 だが林冲と花栄は決して屈しない。林冲が獣の目になっていた。圧倒的優位に関わらず、敵兵はその気迫に二の足を踏んでしまう。

「おい、俺たちも行くぞ。ぼさっとしてるんじゃねぇ」

 縻甠が、闕翥と翁飛を怒鳴りつける。

 だが二人は、表情を動かさず顔を見合せた。

「わしらの役目はここまでだ。お前も早く去るが良い」

「あん、なに言ってやがる」

 闕翥の視線の先に梁山泊軍が見えた。加勢に来たのだ。

 馬に鞭をくれ、闕翥と翁飛は少数の手勢のみで離脱してしまった。

 あいつら、どこへ行く気だ。

 縻甠が思う間に、梁山泊軍が林冲らと合流した。

 ちっ、と唾を吐き、縻甠もその場を去るしかなかった。

「助かったようですね」

 花栄がほっとした顔をしたが、林冲は険しい表情であった。

「どうしましたか」

「敵はこれだけだと思うか」

「もしや陽動だと」

「とにかく宛州へ戻ろう」

 林冲と花栄が兵を連れ、風のように駆けだした。

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