
108 outlaws
急襲
四
宋江への報告書を作成していた蕭譲が顔を上げた。城内が慌ただしい。
部屋を出、通りかかった者を呼びとめた。
敵襲。その言葉に心臓が早鐘のように鳴った。
「花栄どの、林冲どの」
二人はすでに出陣間際であった。花栄と目を合わせ、林冲が先に出て行った。
花栄はいつもの爽やかな笑顔で、
「慌てるな。すぐに片付けてくるよ。それまでお主が宛州城と陳瓘どのを守るのだ。頼んだぞ、蕭譲」
私が、城を守るだって。
鼓動は相変わらず早いが、花栄に言われたのだ。覚悟を決めるしかあるまい。
「一体、何事だ」
陳瓘が唾を飛ばしながらやってきた。
「王慶軍のようです。ですがご心配めさるな。林冲どのと花栄どのが、すでに向かっております。あの二人ならば」
かつて禁軍で最強と呼ばれた林冲、それに国一番の弓の名手、花栄か。
「確かに心配はいらんな」
「ええ」
執務室で報告を待つ。だが、伝令がもたらしたのは吉報ではなかった。今度は北方向からの敵襲、数はおよそ三万。
思わず立ち上がる蕭譲と陳瓘。
「どうするのだ」
陳瓘の声がやや上擦る。
蕭譲は、呂方と郭盛に迎え討たせることを決めた。
地図を広げた。報告によると、初めの敵は山南方面から、そして次が均州方面からだ。
地図を睨んでいた蕭譲たちに、またも敵襲の報がもたらされた。今度は鞏州方面からだという。
「我々が出よう」
郝思文と宣贊が名乗りを上げた。だが蕭譲は唇を噛んだ。二人に頼りたい。しかし兵は残り一万。しかもその大半は住民や老人たちだった。
「孫安どのに救援の伝令を送っては」
陳瓘が言った。蕭譲は応じかけたが、考えなおした。いま孫安軍は山南だ。距離も時間も、間に合うはずもない。
どうする。どうすればいいのだ。
お主が宛州を守るのだ。
ふと花栄の言葉が蘇った。
頭の中で、何かが光った気がした。
これは、いや。そんな事、無理だ。いや、しかし。
奥歯を噛みしめ、やがて蕭譲が顔を上げ陳瓘を見た。
「覚悟は、ございますか」
いつもと違う、蕭譲から感じる気迫に一同が固唾を飲んだ。
花栄と林冲が北の敵に向かって駆ける。
見えた。
林冲が目を眇める。
「中央の男、危険な匂いがするな」
「そのようだな。では試してみよう」
花栄が弓を満々と引き絞り、矢を放った。矢は真っ直ぐに、中央の男めがけて飛んだ。だが矢は、寸前で弾き飛ばされてしまった。
花栄の眉がぴくりと動いた。避けようともしないだと。確かに、林冲の言った通りの男のようだ。
中央の男、縻甠は蠅でも払った後のように、涼しい顔をしていた。
風のように林冲が飛び出した。
「次は私が」
聞こえた時には、縻甠とぶつかる寸前だった。並の者では見切る事のできない蛇矛の一撃。縻甠は、それを喰らった。
しかし林冲の表情が硬い。かたや縻甠は笑みを浮かべている。
蛇矛は確かに縻甠を捉えていた。だが致命傷ではない。
林冲はさらなる攻撃を繰り出そうとした。だが左右から闕翥と翁飛が加勢してきた。
蛇矛を引き戻し、二人の攻撃を弾く。そこへ縻甠の大斧が振り下ろされた。だがそれも蛇矛が弾く。そしてそのまま蛇矛を回し、今度は攻撃に転じた。
縻甠は前に出る事で間合いを外した。蛇矛は肩口を斬り裂くだけだった。
林冲の顔がますます硬くなる。
考えていた以上にこの男、厄介かもしれない。今の動きさえ、できる者がどれほどいるというのだ。攻撃を前に出てかわすなど。
しかもこの男、瞬きひとつもしていなかったのだ。
「さあ、来いよ」
そう言いながら縻甠が大斧をゆらゆらと揺らしている。さらに闕翥と翁飛が左右に広がり、林冲を挟みこむ形となる。
そこへ花栄が飛び込んできた。二対三の乱戦となった。蛇矛と斧と槍と、一瞬でも気を抜くことのできない攻防だ。
だが警戒すべきは縻甠だけだ。闕翥と翁飛は軍人のようだが、林冲と花栄に敵うはずもなかった。
闕翥が腕を上げ、指示を出した。率いてきた兵の一部が、こちらに向かって駆けてきた。さらに翁飛が指示を出すと、別の一隊が持ち場を離れた。
「突っ込め」
闕翥のかけ声で、その二隊が林冲たちめがけて突進してきた。闕翥ら三人はすでに退避している。
林冲、花栄は正面からそれを迎え討つ。
「やるしか、ないな」
「生き延びたら、酒でも飲みましょう」
「うむ、奢ってやるよ」
怒濤の如く押し寄せる敵兵に向かって、花栄が矢を放った。まさに矢継ぎ早。目にも止まらぬ速さで幾本も矢を放ってゆく。その度に、敵兵が馬から落ちてゆく。
「やはり、大して減らないか」
「そんな事はない。二十は減った」
ふふ、と笑い、花栄が槍を握る。林冲も蛇矛を構えた。
林冲と花栄が怒涛の如く押し寄せる敵兵に飲みこまれた。
だが、林冲と花栄は得物を振るい、兵たちを次々と倒してゆく。波の中央に亀裂が入り、ついに林冲と花栄たった二人で敵の軍勢を割ってしまった。
「化け物かよ、あいつら」
見ていた縻甠が漏らした。
闕翥が号令を発すると、今度は兵が林冲たちを囲むように動いた。馬上で背中合わせになる林冲と花栄。
囲む輪が徐々に小さくなり、二人を押し包んでゆく。
だが林冲と花栄は決して屈しない。林冲が獣の目になっていた。圧倒的優位に関わらず、敵兵はその気迫に二の足を踏んでしまう。
「おい、俺たちも行くぞ。ぼさっとしてるんじゃねぇ」
縻甠が、闕翥と翁飛を怒鳴りつける。
だが二人は、表情を動かさず顔を見合せた。
「わしらの役目はここまでだ。お前も早く去るが良い」
「あん、なに言ってやがる」
闕翥の視線の先に梁山泊軍が見えた。加勢に来たのだ。
馬に鞭をくれ、闕翥と翁飛は少数の手勢のみで離脱してしまった。
あいつら、どこへ行く気だ。
縻甠が思う間に、梁山泊軍が林冲らと合流した。
ちっ、と唾を吐き、縻甠もその場を去るしかなかった。
「助かったようですね」
花栄がほっとした顔をしたが、林冲は険しい表情であった。
「どうしましたか」
「敵はこれだけだと思うか」
「もしや陽動だと」
「とにかく宛州へ戻ろう」
林冲と花栄が兵を連れ、風のように駆けだした。