top of page

急襲

三

「ちっ、何だよ。これからって時に」

 索超と対峙していた、縻甠が吐き捨てるように言った。

 退却の鉦が鳴っている。四人のうち誰か、少なくとも二人以上が敗れたという事だ。

 縻甠は金蘸斧を押し返すと馬首を返し、逃げた。待て、という索超の声が聞こえた。俺だって逃げたかねぇんだよ、とひとりごちる。

 陣までしばし駆けた。

 そこにいた薛賛に聞く。

「誰がやられた」

「お前以外だ」

「あの役立たずどもめ」

 と縻甠が唾を吐いた。

「お前たちが、策通りに動かないからだ」

 薛賛は縻甠を嫌悪感の籠もる目で睨んだ。

「俺たちが思い通り動くと思ったのかよ」

 ほざけ罪人め。

 薛賛は心中で罵り、縻甠に告げた。

「ともあれ、戦況を立て直すぞ。策などもういい、お前は好きに暴れろ。俺たちが何とかする」

「何とかする、だあ。そいつは役に立つのかよ」

 薛燦の後ろの耿文を、縻甠が顎で示した。耿文は枷を嵌められてたからだ。

「いいからとっとと行け」

「けっ、足手まといになるんじゃねぇぞ」

 縻甠は哄笑し、新たな兵を引き連れて出陣した。

 薛賛が耿文の枷を外しにかかる。

「くくく、聞いたかよ。足手まといになるな、だとよ。まったく舐めやがって。さあ、頼むぜ。あんな野郎に負けるんじゃないぞ」

 耿文は答えず、久しぶりに解放された手首を回した。そして剣の柄に手を添える。

 王慶のため、ではない。家族のためだ。許せ梁山泊。

 薛賛と耿文の隊が駆けだす。それぞれ五千ずつを率いる。

 行軍の途中、声が聞こえてきた。耿文の部下だった男だ。

「もう耿文さまのそのような姿を見ているのが耐えられません」

「滅多な事は口にするな。お前も牢に入れられるぞ」

 前を向いたまま、その兵だけに聞こえるように言った。

 しばし兵が沈黙した。そして意を決したように、口を開いた。

「耿文さま、伝えなければならない事があります」

 兵から告げられた。

 耿文の目は遠くを見つめ、その手は血が滲むほど強く握りしめられていた。ゆっくりと呼吸をし、鐘のように打つ鼓動を鎮めようと努めた。

「よく、伝えてくれた」

 耿文は、絞り出すようにそう言った。

 

「唐斌どの、怪我を」

 文仲容が言い、崔埜が唐斌を支えた。。

「大した傷ではない」

 そう言って、笑ってみせる。

「一度、本陣に戻りましょう。そこで手当てを」

 文仲容が隊に指示を飛ばそうとした時、馬蹄の轟きが聞こえた。

 敵軍だ。土煙を巻き上げながらこちらに向かって駆けてくる。

 唐斌をかばうように、文仲容が前に出た。

 だが唐斌が叫ぶ。

「俺が行く。馬を貸してくれ」

「その怪我じゃあ無理ですよ。頼んだぞ、崔埜」

 文仲容が穏やかな目をした。

 うむ、と崔埜が頷く。

 待て、という前に文仲容は兵を引き連れ、敵に向かって行った。

 敵軍の中央を駆ける縻甠が蛇のような笑みを浮かべた。獲物が向こうからやって来てくれるとはな。大斧を掲げ、歓喜の雄叫びを上げた。

 唐斌はぞくりとした。顔に刺青、あいつも罪人だ。それも先ほどの男の比にならないほど凶悪な目をしている。

 唐斌は、退け、と叫んでいた。しかし文仲容は縻甠とぶつかった。

 体格ではひと回り以上勝っている。その膂力が、縻甠の大斧を弾いた。縻甠がよろめいた隙を狙い、文仲容が攻め立てる。防戦一方となる縻甠。

 撼山力士。山を撼(うご)かす力士、の二つ名の通り、縻甠の大斧をへし折るのではないかという力技で押してゆく。

 しかし、である。縻甠は全くと言っていいほど怯む気配を見せない。むしろ血を流しながらも嬉々とした表情を浮かべている。索超戦で見せたそれである。

 やがて、押しているはずの文仲容の顔が苦悶に歪みはじめた。

「唐斌どの」

 崔埜も気付いたようだ。

 俺に馬を、という前に崔埜が駆けだしていた。

「逃げろ。逃げるんだ」

 唐斌が叫んだ。

 その声が届くと同時に、縻甠の大斧が文仲容の肩から首のあたりに食い込んだ。鮮血が噴き出した。

 哄笑し、力を込める縻甠。さらに斧が深く食い込んだ。

© 2014-2026 D.Ishikawa ,Goemon-do  created with Wix.com

bottom of page