
108 outlaws
急襲
三
「ちっ、何だよ。これからって時に」
索超と対峙していた、縻甠が吐き捨てるように言った。
退却の鉦が鳴っている。四人のうち誰か、少なくとも二人以上が敗れたという事だ。
縻甠は金蘸斧を押し返すと馬首を返し、逃げた。待て、という索超の声が聞こえた。俺だって逃げたかねぇんだよ、とひとりごちる。
陣までしばし駆けた。
そこにいた薛賛に聞く。
「誰がやられた」
「お前以外だ」
「あの役立たずどもめ」
と縻甠が唾を吐いた。
「お前たちが、策通りに動かないからだ」
薛賛は縻甠を嫌悪感の籠もる目で睨んだ。
「俺たちが思い通り動くと思ったのかよ」
ほざけ罪人め。
薛賛は心中で罵り、縻甠に告げた。
「ともあれ、戦況を立て直すぞ。策などもういい、お前は好きに暴れろ。俺たちが何とかする」
「何とかする、だあ。そいつは役に立つのかよ」
薛燦の後ろの耿文を、縻甠が顎で示した。耿文は枷を嵌められてたからだ。
「いいからとっとと行け」
「けっ、足手まといになるんじゃねぇぞ」
縻甠は哄笑し、新たな兵を引き連れて出陣した。
薛賛が耿文の枷を外しにかかる。
「くくく、聞いたかよ。足手まといになるな、だとよ。まったく舐めやがって。さあ、頼むぜ。あんな野郎に負けるんじゃないぞ」
耿文は答えず、久しぶりに解放された手首を回した。そして剣の柄に手を添える。
王慶のため、ではない。家族のためだ。許せ梁山泊。
薛賛と耿文の隊が駆けだす。それぞれ五千ずつを率いる。
行軍の途中、声が聞こえてきた。耿文の部下だった男だ。
「もう耿文さまのそのような姿を見ているのが耐えられません」
「滅多な事は口にするな。お前も牢に入れられるぞ」
前を向いたまま、その兵だけに聞こえるように言った。
しばし兵が沈黙した。そして意を決したように、口を開いた。
「耿文さま、伝えなければならない事があります」
兵から告げられた。
耿文の目は遠くを見つめ、その手は血が滲むほど強く握りしめられていた。ゆっくりと呼吸をし、鐘のように打つ鼓動を鎮めようと努めた。
「よく、伝えてくれた」
耿文は、絞り出すようにそう言った。
「唐斌どの、怪我を」
文仲容が言い、崔埜が唐斌を支えた。。
「大した傷ではない」
そう言って、笑ってみせる。
「一度、本陣に戻りましょう。そこで手当てを」
文仲容が隊に指示を飛ばそうとした時、馬蹄の轟きが聞こえた。
敵軍だ。土煙を巻き上げながらこちらに向かって駆けてくる。
唐斌をかばうように、文仲容が前に出た。
だが唐斌が叫ぶ。
「俺が行く。馬を貸してくれ」
「その怪我じゃあ無理ですよ。頼んだぞ、崔埜」
文仲容が穏やかな目をした。
うむ、と崔埜が頷く。
待て、という前に文仲容は兵を引き連れ、敵に向かって行った。
敵軍の中央を駆ける縻甠が蛇のような笑みを浮かべた。獲物が向こうからやって来てくれるとはな。大斧を掲げ、歓喜の雄叫びを上げた。
唐斌はぞくりとした。顔に刺青、あいつも罪人だ。それも先ほどの男の比にならないほど凶悪な目をしている。
唐斌は、退け、と叫んでいた。しかし文仲容は縻甠とぶつかった。
体格ではひと回り以上勝っている。その膂力が、縻甠の大斧を弾いた。縻甠がよろめいた隙を狙い、文仲容が攻め立てる。防戦一方となる縻甠。
撼山力士。山を撼(うご)かす力士、の二つ名の通り、縻甠の大斧をへし折るのではないかという力技で押してゆく。
しかし、である。縻甠は全くと言っていいほど怯む気配を見せない。むしろ血を流しながらも嬉々とした表情を浮かべている。索超戦で見せたそれである。
やがて、押しているはずの文仲容の顔が苦悶に歪みはじめた。
「唐斌どの」
崔埜も気付いたようだ。
俺に馬を、という前に崔埜が駆けだしていた。
「逃げろ。逃げるんだ」
唐斌が叫んだ。
その声が届くと同時に、縻甠の大斧が文仲容の肩から首のあたりに食い込んだ。鮮血が噴き出した。
哄笑し、力を込める縻甠。さらに斧が深く食い込んだ。