
108 outlaws
急襲
三
「文仲容」
唐斌が矛を手に、駆け出した。
文仲容が斧の柄を掴み、引き抜いた。血がさらに噴き出した。
鞍から落ちる寸前、辿り着いた崔埜がそれを支えた。文仲容の顔が青ざめてゆく。何か言おうとして口を開くが、言葉が出てこない。
「お前もだっ」
縻甠が崔埜に襲いかかった。崔埜は刀で斧を弾く。移山力士の渾名を持ち、文仲容と同じくらいの巨躯を誇る崔埜。縻甠を力で圧倒する。
しかし縻甠の目が妖しい光を宿した。大斧が閃いた。その凶刃が、崔埜の右手首を斬り落とした。刀が、手と共に地面に落ちた。
失った右手を、崔埜が呆然と見た。
「崔埜」
唐斌の声、そして風を切るような音が聞こえた。
首を斬り裂かれた崔埜が馬から落ちた。そして、文仲容も馬上で動かなくなっていた。
息を切らし、唐斌が二人の側に駆けつけた。
馬上の縻甠が、唐斌を見下ろしている。何を考えているのか。襲いかかることなく、その静けさはかえって不気味だった。
「文仲容、崔埜」
唐斌がぽつりと言った。
残れと言ったのだ。故郷の村に戻れと言ったのだ。元々は農夫なのだ。体と力に恵まれていたからと言って、根は優しい男たちだったのだ。戦などには向いていなかったのだ。
だから、俺のせいだ。
二人が死んだのは、俺のせいだ。
「なあ、そうだろう」
唐斌が縻甠に向けて呟いた。
なに言ってやがる、と縻甠が言った。
縻甠を見据え、矛を斜(はす)に構え、唐斌が近づいてゆく。
「その二人を殺したことを怒っているのか。まさかな。ここは戦場だぜ。殺し合いの場なんだぜ」
互いの間合いに入る。
「ああ、知っている」
だからお前に怒っちゃいねえ。俺は俺が許せねえのさ。
矛と斧が交差した。飛び散る火花。
馬上から縻甠の猛攻。唐斌は巧みに捌き、反撃を繰り出す。技量はやはり唐斌が圧倒的だ。しかし傷が増え、血を流しながらも、縻甠は恍惚にも似た表情である。
唐斌が手元を狂わせた。脇腹が疼く。痛みを堪えながら、やや距離を取る。
ほお、と縻甠が凶悪な目をした。
彼方に郭矸の骸を見つけた。なるほど、でかしたぜ。
縻甠が大きく斧を振り上げた。唐斌は矛を構える余裕がなかった。
ここまでか。すまない文仲容、崔埜。俺もそっちへ行く。そう思った時、風を切る音が聞こえた。
かあん、と激しい音がして斧を弾いた。
「なんだぁ」
そしてもう一度、風を切る音。
下げた縻甠の頭の上を、猛烈な勢いで何かが通り過ぎて行った。
「唐斌どの、ご無事ですか」
張清と瓊英だった。二人が引きつれた梁山泊軍が敵兵たちを討ち取ってゆく。
だがそこへ薛賛、耿文の隊が飛び込んで乱戦となった。
張清たちに向かおうとした縻甠の眉間に深く皺が刻まれた。
薛賛、耿文らが梁山泊軍に押し包まれてしまったのだ。
「何やってんだよ。あいつら見かけ倒しだな」
縻甠は舌打ちをして馬首を返し、離脱を決めた。
「待て、貴様」
唐斌が叫ぶが、すでに声の届かぬ距離であった。
段二が吼えた。
「打ち首だ。死んで責任を果たせ」
「なに言ってやがる。左謀、手前ぇの策とやらのせいだろうが。あのでかいのも使い物にならなかったしよ」
左謀の指示など守っていないのだが、縻甠はそう言い返した。結局、薛賛も耿文も梁山泊軍に敗れ、縻甠だけが襄陽に戻ってきたのだ。
左謀は激昂すると思いきや、大きなため息をついた。
なんだ、こいつ。気味悪いな。
「おい、左謀。言わせておいていいのか。やはり打ち首しかあるまい」
左謀は落ち着いた口調で言った。
「お待ちください、段二さま。この者を許すべきです」
「なんだ、何を許せというのだ。こいつのせいで大敗したのだぞ」
「確かに縻甠の言う通り、策を授けたのは私です。実行できなかったのは縻甠たちの実力不足ですが、それを見謝ったのは私の責任です。しかし、それでも敵将を二人討ち取りました。その手柄を鑑み、もう一度、機会を与えるべきかと」
「甘すぎやしないか」
縻甠もそう思った。段二の言う通り、責任を取らされておかしくはない。左謀め、何を企んでやがる。
左謀は縻甠に目もくれずに続ける。
「梁山泊軍がいくら攻め寄せて来ても、この城は容易く陥とせはしません、安心してください。連中が手を拱いている間に、弱みを突くのです」
「弱み、とは何だ」
「宛州です」
「宛州だと」
左謀曰く。
梁山泊軍は宛州に糧秣や物資を集積している。そして兵力は、いまここ山南、襄陽に集中している。そのため宛州の防備は手薄である。そこで縻甠に宛州を攻めさせる。そうすれば必ず救援のため、兵を戻さざるを得ない。そこへ精強な軍を送り込み、挟撃すれば、一網打尽である、と。
段二はそもそも一介のごろつきで、軍事はさっぱりである。左謀の策に一も二もなく賛同すると、また吼えた。
「左謀に感謝するのだな。だが縻甠、もう後は無いと思え」
「ああ、分かってるよ」
生返事をする縻甠。
けっ、無能なくせに王慶の義兄というだけで威張りやがって。
しかし、まあ良い。梁山泊の奴らに思いっきり借りを返してやるさ。
そのころ兵舎にて、闕翥と翁飛が声を潜めていた。宛州への出陣で縻甠に同行する二人の将だ。
「恐ろしい事を考えるものだ、あの人は」
「まったくだな」
闕翥と翁飛が、くくくと笑った。
闕翥の手には、李助からの密書が握られていた。