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神箭

 新たな年を迎え、人々が新春の挨拶を交わしている。

 追われる身となりながらも、宋江は無事に新年を迎えられた事に安堵していた。

 家族とは離れてしまったが、兄弟のような花栄がいる。それだけでも天に感謝しなければならないだろう。

 正月も慌ただしく過ぎてしまい、もう十五日。元宵節(げんしょうせつ)である。

 ここ清風寨でも人々が協力して金を出し合い、灯籠や提灯などで街を飾り立てていた。

 土地神廟には山を背負った竜のような姿の小鰲山(しょうごうざん)が置かれ、これも五色の絹や造花で飾られ、また数百もの飾り灯籠が吊るされる。その境内では様々な演じものが奉納され、街には市(いち)や見世物が出され、夜にも関わらず昼のような明るさと賑わいを見せている。

 花栄は警備のために出かけてしまっていた。この元宵節の前後は城門も解放されるためである。

 せっかくなので、と宋江は花栄の側仕えの者を連れ、元宵節見物としゃれ込んだ。

 満月が見守る中、人々の笑顔が絶えない。宋江も土地神廟の仕掛け灯籠に感心し、酒を供の者にふるまっては街を練り歩いていた。

 そうして歩いていると先に人だかりができているのに気付いた。なんだろう、とやっとの事で人をかき分け前に出ると、そこでは劇が演じられていた。

 道化役者がくねくねとした仕草を演じると人々が一斉に笑い、宋江も笑った。

「あいつだ。あいつだよ、あたしをさらった山賊は」

 笑い声の中で突然、女の叫び声が上がった。

 劇の台詞ではない、観客の一人がこちらを指差しで叫んでいた。宋江は後ろを振り向いた。一体、誰の事を言っているのか。

 人垣の中から屈強そうな男たちが湧いて出て、宋江を取り押さえ出した。宋江は叫んでいる女の顔を見た。

 十二月八日の、あの女だった。清風山で王英がさらってきた、墓参りに行く途中でさらわれてきた女だった。

 宋江はあっという間に縄で縛りあげられ、役所の庭へと連行されてしまった。

「お前か、わしの妻をさらい、手ごめにしようとした山賊は。わしをここの知寨、劉(りゅう)高(こう)と知っての狼藉か」

 女の横に立つ役人風の男がそう言った。なんと女は清風寨の知寨、劉高の妻であったのだ。

 劉高の妻はやや落ち着きを取り戻したようだったが、宋江を睨みつけている。

 それにしても誤解だ。自分の事を、清風山の一味と勘違いするとは。宋江はなんとか説明をしようとした。

「知寨さまそして奥さま、あの時は私も清風山に捕えられていた身なのです。私は鄆城から来た者で、ここの副知寨の花栄どのの昔馴染みなのです」

 しかし、さらに劉高の妻は語気を強めた。

「あんたも捕らわれていたですって。ならばどうして無事にここにいられるのさ。他の三人を、偉そうに顎で使っていたじゃないのさ」

「誤解です、奥さま。山賊に襲われた衝撃ではっきりと覚えていらっしゃらないのでしょう」

 すると今度は劉高が怒鳴った。

「なんだと山賊め。妻を愚弄するのか」

 何を言っても無駄であった。

 劉高は捕り手たちに割れ竹を持ってこさせて宋江を打ちすえさせた。

「嘘は申しておりません」

 血にまみれ、痛みをこらえながらも宋江は弁明を続けた。しかし名乗ることはできない。

 閻婆惜殺し宋江の名は全国に手配されているのだ。

 劉高は、しぶとい奴めと唾を吐き、鉄の鎖を宋江にかけさせた。

 宋江はすでに気を失っていた。

 足や背からは鮮血が夥しいほど溢れ、中庭の玉石を朱(あけ)に染め上げていた。

 

 宋江と共にいた者たちは急いで花栄の元へと走った。

 宋江が捕らえられた、という報告に花栄は驚いた。一体、どうして捕らわれたのか。

 逃亡中の宋江である事が露見したのか。

 山賊だ、と劉高の妻が宋江を指して叫んでいた、という事はそうではないのだろう。

 しかし山賊とは。

 急いで花栄は筆をとり、劉高にあてて手紙を書いた。使いの者が文書を持ち、劉高の元へと急いだ。

「ふざけるでない、花栄の奴め」

 手紙を読み終えると劉高はそれを引き裂いてしまった。

 使いの者を追い返し、怒りをあらわにしている。

 妻がそっと声をかけてきた。

「あなた、どうしましたの」

「うむ、花栄の奴から、捕らえた男を解放してくれと手紙が来てな。あの男は自分の親戚で、劉(りゅう)丈(じょう)という名だという」

 妻が無言で続きを促す。

「あの山賊は自分で、花栄の昔馴染みだと言っておった。だが花栄は親戚だと言っており、言い分が異なっている。劉丈というのも嘘の名だろう。同じ劉姓ならば情けをかけるだろうと踏んだつもりだろうが、そうはいくものか。花栄の奴めも山賊と組んで、わしを謀(たばか)ろうという腹づもりなのだろう」

 妻に聡明さを誉められ、劉高は機嫌が良くなると部下を呼んだ。

 捕らえた男を、鄆城虎の張三と名付け、護送のための車などを準備しておくように命じ、劉高は執務室へと戻って行った。

「何という事だ」

 使いの報告に花栄は再び焦りを募らせた。

 宋江が何か自供したのかもしれない。それと自分の書面の内容に齟齬(そご)があったのだ。

 劉高は腐っても文官、そういった重箱の隅をつつくような事には異様に鼻がきくようだ。

 花栄は配下を四十人ほど揃えると馬に乗り、彼らと共に劉高の屋敷へと押しかけた。

 書面で駄目ならば、直接に実力行使するしかあるまい。

「劉高どの、副知寨の花栄にございます。ぜひお目通り願いたい。お話ししたい事がございます」

 門番は花栄一行に恐れをなし、逃げ去ってしまった。

 花栄らはそのまま中庭まで乗り込んでゆく。

 何度も劉高の名を叫ぶが、影すらも見えない。

 業を煮やした花栄は配下の兵に館を探索させた。やがて蒼白な顔の宋江が抱えられて出てきた。

「宋江、大丈夫か」

 馬を下りて駆け寄る花栄。

 うつろな目で、すまない、とか細く囁く宋江。

 足や背の皮膚は裂け、歩く事もままならない様子だ。花栄はそのまま宋江を馬に乗せ、自宅へと先に送り返した。

 花栄は馬に乗ると中庭を一周するように歩かせながら叫んだ。

「劉高、一体どういうつもりで我が兄弟を捕らえたのか、教えていただきたい。正知寨とはいえ許されぬ事もありましょうぞ。今回の件、きっちりとけりをつけさせていただきますぞ」

 邸内には花栄の声と、蹄が雪を踏みしめる音だけが聞こえていた。

 花栄が馬首を巡らせ、館から去ってゆく。

 冬特有の静寂さだけが、そこに残されていた。

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