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野望

 高俅軍と梁山泊軍が対峙していた頃である。

 党世雄と劉夢竜が水軍を率いて進軍していた。

 黄河を狭いなどと言ったが、この辺りの川は本当に狭い。徴発してきた中型の船はまだしも、戦船となると時おり船底がつかえそうになる。 

 しかも迷路のように入り組んだ川だ。党世雄が連れてきた地元の人間に案内をさせながら、劉夢竜らはなんとか遡上した。

 節度使たちが引きつけるとは言うが、途中で襲われてはひとたまりもない。しかしその心配も杞憂に終わる。

「思ったよりも広いな」

 党世雄が言う。劉夢竜も同じ気持ちだった。

 中型の船から始めてゆき、次に戦船を湖に入れる。

 だが全軍揃う前に、天が轟いたかのように、号砲が響いた。

「気付かれましたかね」

「いや」

 と劉夢竜が、湖面に見えだした梁山泊軍を見て言った。

「おそらく待っていたのだ、わしらを。奴らめ、思いあがりおって」

 急げ、と劉夢竜が檄を飛ばす。

 梁山泊の船が次第に増えてゆく。

 二度目の号砲が轟いた。

 

「ようやく来やがったな」

 梁山湖に現れた官軍の船を見て、李俊(りしゅん)が冷酷な笑みを浮かべた。

 先の童貫戦では梁山泊水軍の出番はなかった。童貫は騎兵と歩兵だけでやってきたからだ。

 湖に到達する前に攻撃を、という朱武に対して、呉用はおびき寄せると言った。

「確かに朱武の策が常道です。しかしこの戦は、徹底的に勝たなくてはならないのです」

「ではそれこそ、わざわざ待たなくともよいでは」

「だからこそ、待つんだろう。なあ、呉用どの」

 李俊だった。

「こちらの水軍の力も見せつける必要があるってことさ。だから湖まで来させて、堂々と迎え討ち、勝つ」

 そうだろう、という顔で呉用を見る。

 呉用は表情を変えない。朱武は納得できないという顔をしている。

「良いのか、李俊」

 徒に兵を戦わせる事になるのだぞ。朱武の言いたいことは分かる。

「自信がなければ、引き受けやしないさ。それに前も言ったが、あいつらは戦いたがってうずうずしてるんだ。心配しないでくれ」

 ならば、と朱武が立ちあがる。

「私を連れて行け。自信があるのだろう。ならば駄目とは言わせんぞ」

 李俊は驚いて呉用の方を見た。呉用は微(かす)かに頷いた。

 徐々に宋水軍が増えてきた。多くは中型船か。民から徴発したものだろう、戦向きではない。

「調練を見てはいたのだがな」

 李俊の横で朱武がつぶやく。朱武は、水戦の経験がまだない。いつもとは異なる戦に、いささか高揚しているようでもあった。

「まあ、焦りなさんな。実戦を、俺たちの力を見ておいてくれ」

 号砲が鳴らされた。

 それを合図に梁山泊水軍が展開する。足の速い小型船が広がり、その後に中型船が続く。

 宋水軍は数を頼みにしてか、向きを変えず真っ直ぐに突っ込んでくる。大型船の甲板に弓兵が並んだ。

「放てっ」

 劉夢竜の合図で、矢が一斉に飛んだ。

 小型船の兵たちはすぐに皮の楯を取り出し、身を伏せて矢をやり過ごす。そして矢が止むとすぐに船を飛ばし、敵船に近づいてゆく。

 劉夢竜が次の矢を命じる前に、船上での戦いが始まった。だが宋水軍も、長江での経験は豊富だ。梁山泊水軍とも互角の戦いである。

 劉夢竜の指示で、また矢がつがえられた。梁山泊船に向けて狙いをつける。

 小型船団を指揮する張横が、長い口笛を吹いた。攻撃を仕掛けていた小型船たちが、一斉に舳先の向きを変え、敵と距離を置くように離れていった。射られた矢は、ほとんど届かずに湖に落ちた。

 劉夢竜は弓兵を下がらせ、大声で命令を飛ばす。合図の旗が振られた。

 中型の船が進み、その後に大型船が続いて動きだした。

 梁山泊水軍も、同じく中型船を進める。中央の船、先頭に立つのは阮小二。そして左右の船に二人の弟、小五と小七である。 

 中型船同士がぶつかる。

 立地太歳、短命二郎、活閻羅という不吉な渾名を持つ三人が、次々と宋水軍を屠ってゆく。湖面がみるみるうちに赤く染まってゆく。

 朱武は唾を飲み込んだ。宋水軍の動きは、敵ながら大したものだと思う。だがそれ以上に、梁山泊水軍の動きが見事なのだ。

 ここに到り、宋水軍が乱れ始めた。

 劉夢竜と党世雄が必死に檄を飛ばすも、兵たちの士気が下がっていく。

「向こうじゃ、それほど強い相手はいないからな」

 李俊が腕を組んだまま言う。李俊は江南で闇塩を扱い、常に闘ってきた。宋水軍がどれほどのものかを知っているのだ。

 鉦が鳴らされ、宋水軍の大型船も下がり始めた。逃げられる、と朱武は思った。

「大丈夫だ。見ていてくれ」

 その思いを見透かしたように李俊がつぶやく。

 元の水路へ戻ろうとした宋水軍だったが、動きを止めた。いや、動けなくなっているようだ。

 張横の率いる小型船が離脱したと見せかけ、柴や木で水路を塞いでいたのだ。宋水軍は櫓や櫂が引っ掛かり、船を動かせなくなってしまった。

 ついに船を捨て、兵たちが水に飛び込みはじめた。しかし阮三兄弟や、戻ってきた張横の隊の格好の餌食となった。

 阮小二が舳先の向きを変えた。その先には党世雄の乗る船。党世雄は矛を構え、阮小二を迎え討つ。足場の悪さにも関わらず、党世雄はなかなかの腕だった。しかし小五と小七が近づいてくるのを見て、さすがの党世雄も舌打ちをする。

 必殺の手を放ち、阮小二をのけぞらせると、矛を捨て水中へ飛び込んだ。泳ぎは人並みにはできる。息を吸うところを狙われないよう、なるだけ水中を進もうとした。

 だが党世雄は、溜めた息を全て吐き出しそうなほど驚いた。

 目の前に男がいた。小型船団を指揮していた男だ。

 その男、張横はむんずと党世雄の髪を掴み、水面へと出た。そのまま船に放りこまれ、縄で縛られた。

「おっと、おとなしくしてるんだ」

 叫ぼうとした党世雄の口に猿轡を噛ませた。

 劉夢竜は戦慄した。

 梁山泊水軍がこれほどまでだとは。宋水軍の動かぬ船団がまるで棺桶に思えてきた。

 党世雄が捕らえられた。自分まで捕まる訳にはいかない。

 刀を必死に振るい、迫る梁山泊兵を牽制する。劉夢竜は船から飛び降り、浅瀬を走った。

 党世雄がどうなったのか、振り向きたい衝動を必死に抑え、駆けた。

 不甲斐ない。

 韓世忠に合わせる顔がない。

 流れる涙を堪えることができなかった。

 ふいに馬上で振り返り、空の向こうを見る仕草を、党世英がした。

 それを見た梅展が訊ねる。

「こいつは、どうしたのですか、太尉どの」

 高俅ではなく、党世英自身が答えた。

「世雄が、しくじったようです」

「どうしてそんな事が言えるのだ」

 梅展が吠える。党世英は静かに言う。

「分かるのですよ。幼い頃から、離れていても互いの事が、なんとなくですが」

 馬鹿な、と梅展は信じられぬようだった。

 しばらくして偵察が、血相を変えて戻ってきた。

 水軍が敗れたという報告だった。

 梅展をはじめ、節度使たちが党世英の顔を見た。

「わしも、初めは信じられなかった。どこまで分かるか、というのはその時々でも違うのだが、かなりの割合で当たるのだ」

 そう高俅がつぶやいた。

 梅展は驚くばかりであった。そうか、だから党兄弟を分け、自分の側に片方を置いていたのか。

 そこへ韓存保が憤ったように割り込む。

「ともかく、水軍が敗れたのですぞ。今後の戦略は、高太尉」

「慌てるな。まだ様子見というところだ。ともかく、一度済州へ戻る」

 高俅は不敵に笑い、馬を進めた。

 何か言いたそうな韓存保だったが、従うしかなかった。

 済州城についたのは夜も更けた頃であった。

 飯と酒を急いで取り、高俅はそのまますぐに床へ潜りこんだ。

 だが数刻後、高俅が飛び起きた。汗が体にまとわりついていて不快だった。

 いつもの夢だった。林冲だ。

 林冲の矛に貫かれる夢だ。いつにもまして、現実味に溢れていた。

 梁山泊に近いからか。昨日の戦で、林冲を実際に目にしたからか。

 どちらでもよい。はやく悪夢の元を取り除かねばならない。

 しかし劉夢竜め、よもや負けるとは。

 だがまだ水軍は残っている。船は牛邦喜に、このあたりから徴発させている。それがそろい次第、また水軍を送りこまねば。

 まだ朝までは遠い。

 小便をし、部屋に戻ろうとした時、気配を感じた。

 上党太原節度使、徐京がそこにいた。

「眠れませぬか」

「要件は何だ」

「梁山泊に、勝つためのお話を」

 高俅が目を細めた。徐京は神妙な面持ちだ。

「聞こう」

「ありがとうございます」

 やがて徐京が訥々と言葉を紡ぐ。

 童貫軍がなぜ勝てなかったか。

 そしてこの戦でも、水軍がなぜ敗れてしまったのか。

 話すたび、高俅の眉間の皺が深くなってゆく。

「もうよい。結論を言え」

 満を持したように徐京が言う。

 軍師です。

「宋軍は確かに数も力も、梁山泊に負けてはおりません。どんな強い者でも、その力の使い方を知らねば、格下の者に勝てぬ事もございます」

「わしの頭では足りぬという事か」

「そういう意味では」

 慌てて取り繕おうとする徐京だったが、高俅は笑んでいた。

「まあよい。お前の言うことはもっともだ。だがその軍師とやらは、どうするというのだ。開封府から呼びつけるのか」

「畏れながら私の知り合いに、うってつけの者がおります」

「その者は、どこにおる」

「東京城外は安仁村に」

「よし、すぐに連れて来い」

 徐京は畏まり、出て行こうとした。

「その者の名を聞いておこう」

 待ってましたとばかりに、徐京が告げた。

 孫呉の才と諸葛亮の知謀を兼ね備えるというその男。

 名を、聞煥章(ぶんかんしょう)といった。

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