108 outlaws
野望
三
高俅軍と梁山泊軍が対峙していた頃である。
党世雄と劉夢竜が水軍を率いて進軍していた。
黄河を狭いなどと言ったが、この辺りの川は本当に狭い。徴発してきた中型の船はまだしも、戦船となると時おり船底がつかえそうになる。
しかも迷路のように入り組んだ川だ。党世雄が連れてきた地元の人間に案内をさせながら、劉夢竜らはなんとか遡上した。
節度使たちが引きつけるとは言うが、途中で襲われてはひとたまりもない。しかしその心配も杞憂に終わる。
「思ったよりも広いな」
党世雄が言う。劉夢竜も同じ気持ちだった。
中型の船から始めてゆき、次に戦船を湖に入れる。
だが全軍揃う前に、天が轟いたかのように、号砲が響いた。
「気付かれましたかね」
「いや」
と劉夢竜が、湖面に見えだした梁山泊軍を見て言った。
「おそらく待っていたのだ、わしらを。奴らめ、思いあがりおって」
急げ、と劉夢竜が檄を飛ばす。
梁山泊の船が次第に増えてゆく。
二度目の号砲が轟いた。
「ようやく来やがったな」
梁山湖に現れた官軍の船を見て、李俊(りしゅん)が冷酷な笑みを浮かべた。
先の童貫戦では梁山泊水軍の出番はなかった。童貫は騎兵と歩兵だけでやってきたからだ。
湖に到達する前に攻撃を、という朱武に対して、呉用はおびき寄せると言った。
「確かに朱武の策が常道です。しかしこの戦は、徹底的に勝たなくてはならないのです」
「ではそれこそ、わざわざ待たなくともよいでは」
「だからこそ、待つんだろう。なあ、呉用どの」
李俊だった。
「こちらの水軍の力も見せつける必要があるってことさ。だから湖まで来させて、堂々と迎え討ち、勝つ」
そうだろう、という顔で呉用を見る。
呉用は表情を変えない。朱武は納得できないという顔をしている。
「良いのか、李俊」
徒に兵を戦わせる事になるのだぞ。朱武の言いたいことは分かる。
「自信がなければ、引き受けやしないさ。それに前も言ったが、あいつらは戦いたがってうずうずしてるんだ。心配しないでくれ」
ならば、と朱武が立ちあがる。
「私を連れて行け。自信があるのだろう。ならば駄目とは言わせんぞ」
李俊は驚いて呉用の方を見た。呉用は微(かす)かに頷いた。
徐々に宋水軍が増えてきた。多くは中型船か。民から徴発したものだろう、戦向きではない。
「調練を見てはいたのだがな」
李俊の横で朱武がつぶやく。朱武は、水戦の経験がまだない。いつもとは異なる戦に、いささか高揚しているようでもあった。
「まあ、焦りなさんな。実戦を、俺たちの力を見ておいてくれ」
号砲が鳴らされた。
それを合図に梁山泊水軍が展開する。足の速い小型船が広がり、その後に中型船が続く。
宋水軍は数を頼みにしてか、向きを変えず真っ直ぐに突っ込んでくる。大型船の甲板に弓兵が並んだ。
「放てっ」
劉夢竜の合図で、矢が一斉に飛んだ。
小型船の兵たちはすぐに皮の楯を取り出し、身を伏せて矢をやり過ごす。そして矢が止むとすぐに船を飛ばし、敵船に近づいてゆく。
劉夢竜が次の矢を命じる前に、船上での戦いが始まった。だが宋水軍も、長江での経験は豊富だ。梁山泊水軍とも互角の戦いである。
劉夢竜の指示で、また矢がつがえられた。梁山泊船に向けて狙いをつける。
小型船団を指揮する張横が、長い口笛を吹いた。攻撃を仕掛けていた小型船たちが、一斉に舳先の向きを変え、敵と距離を置くように離れていった。射られた矢は、ほとんど届かずに湖に落ちた。
劉夢竜は弓兵を下がらせ、大声で命令を飛ばす。合図の旗が振られた。
中型の船が進み、その後に大型船が続いて動きだした。
梁山泊水軍も、同じく中型船を進める。中央の船、先頭に立つのは阮小二。そして左右の船に二人の弟、小五と小七である。
中型船同士がぶつかる。
立地太歳、短命二郎、活閻羅という不吉な渾名を持つ三人が、次々と宋水軍を屠ってゆく。湖面がみるみるうちに赤く染まってゆく。
朱武は唾を飲み込んだ。宋水軍の動きは、敵ながら大したものだと思う。だがそれ以上に、梁山泊水軍の動きが見事なのだ。
ここに到り、宋水軍が乱れ始めた。
劉夢竜と党世雄が必死に檄を飛ばすも、兵たちの士気が下がっていく。
「向こうじゃ、それほど強い相手はいないからな」
李俊が腕を組んだまま言う。李俊は江南で闇塩を扱い、常に闘ってきた。宋水軍がどれほどのものかを知っているのだ。
鉦が鳴らされ、宋水軍の大型船も下がり始めた。逃げられる、と朱武は思った。
「大丈夫だ。見ていてくれ」
その思いを見透かしたように李俊がつぶやく。
元の水路へ戻ろうとした宋水軍だったが、動きを止めた。いや、動けなくなっているようだ。
張横の率いる小型船が離脱したと見せかけ、柴や木で水路を塞いでいたのだ。宋水軍は櫓や櫂が引っ掛かり、船を動かせなくなってしまった。
ついに船を捨て、兵たちが水に飛び込みはじめた。しかし阮三兄弟や、戻ってきた張横の隊の格好の餌食となった。
阮小二が舳先の向きを変えた。その先には党世雄の乗る船。党世雄は矛を構え、阮小二を迎え討つ。足場の悪さにも関わらず、党世雄はなかなかの腕だった。しかし小五と小七が近づいてくるのを見て、さすがの党世雄も舌打ちをする。
必殺の手を放ち、阮小二をのけぞらせると、矛を捨て水中へ飛び込んだ。泳ぎは人並みにはできる。息を吸うところを狙われないよう、なるだけ水中を進もうとした。
だが党世雄は、溜めた息を全て吐き出しそうなほど驚いた。
目の前に男がいた。小型船団を指揮していた男だ。
その男、張横はむんずと党世雄の髪を掴み、水面へと出た。そのまま船に放りこまれ、縄で縛られた。
「おっと、おとなしくしてるんだ」
叫ぼうとした党世雄の口に猿轡を噛ませた。
劉夢竜は戦慄した。
梁山泊水軍がこれほどまでだとは。宋水軍の動かぬ船団がまるで棺桶に思えてきた。
党世雄が捕らえられた。自分まで捕まる訳にはいかない。
刀を必死に振るい、迫る梁山泊兵を牽制する。劉夢竜は船から飛び降り、浅瀬を走った。
党世雄がどうなったのか、振り向きたい衝動を必死に抑え、駆けた。
不甲斐ない。
韓世忠に合わせる顔がない。
流れる涙を堪えることができなかった。
ふいに馬上で振り返り、空の向こうを見る仕草を、党世英がした。
それを見た梅展が訊ねる。
「こいつは、どうしたのですか、太尉どの」
高俅ではなく、党世英自身が答えた。
「世雄が、しくじったようです」
「どうしてそんな事が言えるのだ」
梅展が吠える。党世英は静かに言う。
「分かるのですよ。幼い頃から、離れていても互いの事が、なんとなくですが」
馬鹿な、と梅展は信じられぬようだった。
しばらくして偵察が、血相を変えて戻ってきた。
水軍が敗れたという報告だった。
梅展をはじめ、節度使たちが党世英の顔を見た。
「わしも、初めは信じられなかった。どこまで分かるか、というのはその時々でも違うのだが、かなりの割合で当たるのだ」
そう高俅がつぶやいた。
梅展は驚くばかりであった。そうか、だから党兄弟を分け、自分の側に片方を置いていたのか。
そこへ韓存保が憤ったように割り込む。
「ともかく、水軍が敗れたのですぞ。今後の戦略は、高太尉」
「慌てるな。まだ様子見というところだ。ともかく、一度済州へ戻る」
高俅は不敵に笑い、馬を進めた。
何か言いたそうな韓存保だったが、従うしかなかった。
済州城についたのは夜も更けた頃であった。
飯と酒を急いで取り、高俅はそのまますぐに床へ潜りこんだ。
だが数刻後、高俅が飛び起きた。汗が体にまとわりついていて不快だった。
いつもの夢だった。林冲だ。
林冲の矛に貫かれる夢だ。いつにもまして、現実味に溢れていた。
梁山泊に近いからか。昨日の戦で、林冲を実際に目にしたからか。
どちらでもよい。はやく悪夢の元を取り除かねばならない。
しかし劉夢竜め、よもや負けるとは。
だがまだ水軍は残っている。船は牛邦喜に、このあたりから徴発させている。それがそろい次第、また水軍を送りこまねば。
まだ朝までは遠い。
小便をし、部屋に戻ろうとした時、気配を感じた。
上党太原節度使、徐京がそこにいた。
「眠れませぬか」
「要件は何だ」
「梁山泊に、勝つためのお話を」
高俅が目を細めた。徐京は神妙な面持ちだ。
「聞こう」
「ありがとうございます」
やがて徐京が訥々と言葉を紡ぐ。
童貫軍がなぜ勝てなかったか。
そしてこの戦でも、水軍がなぜ敗れてしまったのか。
話すたび、高俅の眉間の皺が深くなってゆく。
「もうよい。結論を言え」
満を持したように徐京が言う。
軍師です。
「宋軍は確かに数も力も、梁山泊に負けてはおりません。どんな強い者でも、その力の使い方を知らねば、格下の者に勝てぬ事もございます」
「わしの頭では足りぬという事か」
「そういう意味では」
慌てて取り繕おうとする徐京だったが、高俅は笑んでいた。
「まあよい。お前の言うことはもっともだ。だがその軍師とやらは、どうするというのだ。開封府から呼びつけるのか」
「畏れながら私の知り合いに、うってつけの者がおります」
「その者は、どこにおる」
「東京城外は安仁村に」
「よし、すぐに連れて来い」
徐京は畏まり、出て行こうとした。
「その者の名を聞いておこう」
待ってましたとばかりに、徐京が告げた。
孫呉の才と諸葛亮の知謀を兼ね備えるというその男。
名を、聞煥章(ぶんかんしょう)といった。