108 outlaws
野望
二
「節度使が強力だというのは、かつての話。いまや時代遅れの存在です。ですが決して侮ってはなりません。機は、水軍がまだ移動中の今です」
ひと息つき、居並ぶ頭目たちに向かって、呉用が告げた。
「先手必勝です。ひと泡吹かせてやりましょう」
高俅軍は十三万という、童貫軍をはるかに上回る大軍だという情報だ。それをあえて待つ必要はない、というのが呉用の判断だ。
迎え討つのは張清と董平。それぞれ一千を率い、出撃をした。
鳳尾坡へ、高俅軍が足を踏み入れた。済州までおよそ四十里というところである。
馬に揺られるのは京兆弘農節度使、王文徳。夜游神という異名を持つ男であった。
その王文徳の片眉が上がった。側面の森に顔を向けた。まだ緑の残る木々が、静かに佇んでいる。
気のせいか。
正面を向いたその時である。森の中から一団が飛び出してきた。
やはり気のせいではなかった。まもなく済州なのだ、攻撃がない方がおかしいというものだ。
敵の先頭は、両手に槍を構えていた。双鎗将の董平か。相手にとって不足はない。王文徳は刀を構え、董平を迎え討つ。
馬を止め、打ち合った。はじめは笑みさえ浮かべていた王文徳だったが、次第にその表情を変えてゆく。一方の董平の方こそ、余裕が見えてきた。
二本の槍が唸りを上げ、速度を増した。
劣勢だった王文徳が距離を取り、
「今日のところはここまでにしておいてやる。貴様が討たれていなかったならば、また相手をしてやろう」
と言い、馬を反転させた。
「虚勢を張るとは、まったく無粋なものだな。軍師どのの言葉も、あながち間違ってはいなかったようだ」
王文徳は自軍をそのまま引き連れ、森へと突っ込んだ。
董平はそれを追いながら思う。いまの一連の動きに、遅滞は見られなかった。童貫軍の時よりも、兵たちはなかなか訓練されているようだ。面白い。それでこそ、戦い甲斐があるというものだ。
王文徳の隊が森を抜けた。
だがそこにも梁山泊の一隊がいた。待ちうけるのは没羽箭の張清。王文徳を視界にとらえた瞬間に、礫を放っていた。
何かが飛んできた。避けなければと思っている間に、それは兜にぶち当たった。
星が瞬いた。衝撃で意識が飛びそうになったが、すんでのところで手綱を握った。
しかし王文徳の表情は朦朧としている。
好機と見た張清が馬を駆けさせた。
もう一発。手には既に、次の礫が握られている。
「張清」
と声がした。森から出てきた董平だ。
同時に、横から喚声が聞こえた。
新手だ。
江夏零陵節度使、楊温である。
楊温が頭上で棒を回しながら、張清と王文徳の間へ、突っ込んできた。
攔路虎、路を遮る虎の異名通りだ。
「とっとと目を覚ませ。死にたいのか」
楊温が駆けざま、檄を飛ばす。その言葉が届いたのか、王文徳が跳ね起きたように、上体を直立させた。
「礼は言わんぞ」
楊温の姿を見とめ、一瞬で状況を把握するところはさすがだ。
すぐに二人は隊を率い、離れて行った。済州の方角だった。
董平と張清は追わず、梁山泊へと引き返した。深追いはするなという命令だ。
張清は投げ損ねた礫を、大事そうに袋へと戻した。
済州太守である張叔夜は、やや辟易していた。
今日、高俅が入城した。
それから高俅と節度使たちをもてなすのに大わらわだった。それもあるが、まだ戦が始まってないというのに、すでに勝ったような素振りであったからだ。
「そう心配そうな顔をするではない。わしと十節度使が出向いたからには、梁山泊の連中など、そこらの賊と何ら変わりはせぬ」
高俅が笑い、酒を呷る。張叔夜は、やはり眉間に皺を深く刻んだ。
夜も更けたが、宴は続いていた。
控えの間で休んでいた張叔夜の元へ、配下の役人が血相を変えて飛び込んできた。
「何ごとだ。梁山泊か」
違った。
高俅軍の兵が、済州城外で住民たちを脅かし、略奪行為をしているというのだ。
何という事だ。これではどちらが賊か分からないではないか。
張叔夜の訴えに、高俅は面倒くさそうな顔をした。そしてやっとの事で部下を走らせた。
城壁に立ち、張叔夜は思う。
梁山泊軍は、決して民に暴力をはたらくことはない。噂では、梁山泊は非道の限りをつくす逆賊だ。だが決してそうではない事は、済州を預かる張叔夜には、よく分かっていた。
宋江は、宿元景と邂逅を果たした。そして告げたという。
国を害する奸臣を取り除き、国を救うのだと。
だが、招安を蹴った。
梁山泊は、宋江は何をしようというのか。
夜空には満月。風はすでに冷たいものになっていた。
二日ほど、高俅は済州を出ようとしなかった。
そこへ、江南から戻った牛邦喜が、将軍をひとり伴って来た。水軍統制、劉夢竜である。
「ようやく、来たか。待ちかねたぞ」
「申し訳ございません、太尉どの。思ったより、黄河が狭ったもので」
「面白いことを言いおる。気に入ったぞ」
拱手で、劉夢竜がそれに応えた。
高俅の前に、節度使たちが顔を揃えた。
「さて、水軍の船をどうやって運び入れるか、だが」
怖れながら、と王煥が進み出た。
節度使たちが梁山泊をおびき寄せる。その隙に、水軍を導きいれる。王煥のその献策を、高俅が採用した。
布陣は、先鋒に王煥と徐京。左軍に張開と楊温。右軍に韓存保と李従吉を配する。前後の救援を担うのは項元鎮、荊忠。そして殿軍には王文徳と梅展である。
「お前たち、入ってこい」
牛邦喜の声に応じて二人の男が現れた。節度使たちが呻くような声を漏らした。
二人がまるで鏡に映したかのように、そっくりだったからである。
高俅が二人に告げる。
「統制官の党世英と党世雄だ。党世雄、お前に三千を与える。水軍の補佐をせよ。党世英はわしと共にいろ」
党兄弟は、同時に応と返事をした。
声色までそっくりであった。そして節度使たちと並ぶ。すでにどちらがどちらであるか、分からなくなってしまった。
「さて、梁山泊を潰しに行くぞ。甲を持て」
高俅がうっそりと立ち上がった。
梁山泊軍と高俅軍が対峙していた。
高俅側から一騎が進み出た。
白髪白髯が風に揺れている。
老風流、王煥である。
「この戦力差を見て分かるだろう。おとなしく降伏するならば、今のうちである。天子さまのお心は寛大だ。招安を蹴った罪も許してくださるだろう」
朗々と響きわたる声は、その胆力が老いて益々意気軒高である事を知らしめた。
それに応えるように梁山泊の旗が割れ、そこから一騎現れる。
梁山泊頭領、及時雨の宋江であった。
「これはこれは、王煥どののご高名は伺っております。ですがそれも過去の事。王どの、あなたは戦うには年を取り過ぎたようだ。ここで間違いがあっては、あなたの栄光も台無しです。どうか別の若い者をお出しください」
戦慄が走った。
慇懃無礼な言葉に、節度使たちはおろか梁山泊軍さえも凍りつくようであった。ひとり、呉用だけが羽扇を悠然とくゆらせていた。
「何だと貴様。水たまりのこそ泥風情が、そのような口を。過去の栄光かどうか、思い知らせてやろう」
顔を真っ赤にして、王煥が怒鳴った。
戦の前に抱いていた、梁山泊への想いなど、どこかへ吹き飛んだ。
だが宋江はなおも呷るように言う。
「残念ながら梁山泊には、あなたに負けるような者はひとりもおりません」
その言葉の途中で、すでに王煥が駆けていた。
槍が宋江に迫る。
だが陰から一騎が風の如く飛び出した。
槍が交差した。歯噛みした王煥を、林冲が見据える。
「我が名は林冲。私がお相手いたす。老風流どの」
「禁軍教頭、林冲か。良いだろう」
両軍が見守るなか、王煥と林冲が激突した。
ほぼ互角だった。
宋江の言葉で冷静さを欠いていなければ、と思うほど王煥の腕は健在だった。
八十合もの打ち合いの末、太鼓が鳴らされる。王煥と林冲、去り際に互いに一瞥を送るだけで、無言だった。
高俅が鼻梁に皺を寄せる。林冲め、待っていろ。必ずその首を獲ってやる。そして、あの悪夢を終わらせるのだ。
労いの言葉もなく、次は誰だ、と高俅が告げる。
私が、と名乗りを上げたのは荊忠。荊南嵐と称される清河天水節度使だ。手にする得物は大桿刀。
対する梁山泊からは呼延灼が馬を進める。
呼延灼が名乗りを上げる前に、荊忠が襲いかかる。大桿刀を縦横に振りまわす技は、まさに嵐だった。
だがその嵐が止んだ。呼延灼の鞭が、大桿刀をしっかと抑えこんでいた。
驚愕の表情を浮かべた荊忠。次の瞬間、それは鉄鞭によって打ち砕かれた。
頭部を失った荊忠の体が、ゆっくりと馬から落ちた。
汗の一筋も流してはいない呼延灼が、高俅を睨んだ。
「次だ」
決まり文句のように、高俅が言った。
目の前で節度使のひとりが討たれたのだ。だが何事もなかったような顔をしていた。
「おのれ、山賊め。次は私が」
と吼える韓存保だったが、それを止める者がいた。梁山泊を睨みつけるように、その節度使が前に出る。
瑯琊彭城節度使、項元鎮である。
「俺が行かせてもらいますよ。こないだの様子見では、納得いかなくてね」
そう言ったのは董平だった。不敵な笑みを浮かべ、両手の槍を振るい、馬を飛ばす。
相手の項元鎮は、高俅軍の側にとどまっていた。しかしその目は、しっかりと董平を捉えている。
いつの間にか、項元鎮は弓を構えていた。そして即座に矢が放たれた。
驚いた董平だったが、右の槍で正確に矢を弾き飛ばした。
が、そこに飛び込んできたのは、第二の矢だった。
二本同時に放っていたのか。だが避けられぬほどでは、ない。
董平の左の槍が、矢を弾いた。
梁山泊軍の悲鳴が、歓喜に変わる。
花栄の声がした。
「まだだ、董平。まだ来る。そいつは、その男は」
矢が迫っていた。三本、だと。
董平は動けない。
「その男は神射手、項元鎮だ」
おお、と董平が叫ぶ。無理やりに体を捻じり、矢を何とかかわそうとした。しかし、矢は董平の右肘を貫いた。
呻きながらも董平は、そう言う事は先に言ってくれよ、と苦笑いを浮かべた。
項元鎮が次の矢を放った。董平を狙った矢は、なんと別の矢に射落とされた。
花栄が弓を構えていた。
「矢で、矢を射るだと」
高俅が呻いた。先ほどから無表情だった項元鎮も、眉をぴくりと動かした。
「ええい、全軍かかれ」
高俅の命令が飛ぶ。狙いは負傷した董平だ。
林冲、呼延灼がまず飛び出し、高俅軍とぶつかる。そのまま董平を守りつつ、高俅軍を押しとどめる。
退却の鉦が鳴る。
逃げる梁山泊軍だったが、高俅軍はそこまで深追いはしなかった。
党世英から報告があった。水軍が予定通りに梁山湖周辺に辿り着いた。
「上手くいきましたな」
王煥が馬を寄せてきた。平然としたその態度を見て、高俅は目を細めた。
この年齢で、あの林冲と互角という腕には驚いた。それもあるが、先ほどとの変わりようはどうだ。あれほど顔を赤くしていたというのに、まるで何もなかったかのような風だ。
梁山泊を引きつけておく。そのための演技だったというのか。
老風流か、喰えぬ男だ。