top of page

戦友

 呂方は思わず駆け寄った。

 馬で現れた黄門山の頭目の中に知った顔があったからだ。

「おい、蔣敬。何でこんな所にいるんだよ。てっきり科挙に合格して」

 と、そこまで言って、呂方は少しすまなそうな顔をした。

 蔣敬もこれには驚いた。

 麓になにやら怪しげな軍勢が野営をしているとの連絡を受け、馬麟と二人で偵察に来たのだ。

 黄州からの討伐隊かもしれない、そう思ったのだ。

「知りあいなのかい」

 蔣敬は首肯し馬麟を待たせると、馬を下り歩き出した。

「そういう事だ、呂方。俺は科挙に落ちちまった。で、お前との約束もすっぽかして、どういう訳か山賊の頭目などになっちまった」

 呂方も、俺もさ、と笑った。

 晁蓋と宋江が呼ばれ、蔣敬との経緯(いきさつ)が話された。

「誠に奇縁に他なりませんな」 

 宋江は感心したように微笑んだ。

 馬麟も事情を知り、寨へ手下を走らせた。

 晁蓋、宋江、花栄、燕順、李俊、穆弘といった頭(かしら)立ったものが山寨へと迎えられた。

 李逵は、おいらもと騒いでいたが、

「仕方ない。おいらはここで兄貴たちの帰りを待つといたしますよ」

 黄門山から送られた大量の酒を目にして、李逵は満足げにそう言った。

 戴宗は苦笑しながら李逵と酒を飲み、黄門山を見上げた。

 

 中央に摩雲金翅の欧鵬が掛けていた。

 元官軍だという、黄門山の頭領はじっと梁山泊の一同を見据えていた。

 順に神算子の蔣敬、鉄笛仙の馬麟、九尾亀の陶宗旺と挨拶をした。梁山泊勢の名乗りが終わり、杯が掲げられた。

「あなたが及時雨どのでしたか。しかしえらい事をしでかしましたな」

 欧鵬は静かに、しかし力強い口調だった。

 宋江は酒を口にしながら思う。燕順とはまた違った種類の頭領だ。

「しかし奇縁ですな」

 宋江は山の麓で言った言葉を繰り返した。

 奇縁か。その通りだ、と欧鵬は思った。

 逃亡した先の建康で馬麟と出会い、さらにこの黄門山への道すがら蔣敬と陶宗旺と出会った。

 そこから農民たちを引き連れ、黄門山を興した。故郷という事もあり、欧鵬が頭領となった。席次は年の順に蔣敬、馬麟、陶宗旺と決まった。

 土木工事一切は農民たちを率いて陶宗旺がおこなった。蔣敬は山寨に必要な物資などの管理を一手に引き受けた。頭の中だけでこれほどの計算ができる人間がいたのか、と欧鵬は密かに舌を巻いたほどだった。

 それを元に欧鵬と馬麟が役所や悪徳庄屋など襲い、人員と備蓄を増やしていったのだ。

 いまや五百ほどの軍勢となった黄門山を、黄州をはじめとする近隣の州は怖れおののくばかりであった。

 晁蓋は梁山泊を思い出していた。梁山泊も今回を含め次々と人員が増えている。

 家屋の増築や食料の増産、そしてそれを管理する者が足りない。軍師である呉用がそうこぼしていたのを思い出した。

「どうですか、梁山泊に行きませんか」

 晁蓋の考えを先回りするかのように、宋江が身を乗り出した。

 まるで、そうする事が当たり前であるかのような言い方だった。

 この黄門山を捨てろというのか。

 ぴくりと目を見開いた欧鵬。馬麟や蔣敬も杯を持つ手を一瞬、止めた。

 欧鵬は酒を飲み、気を落ち着かせた。

「確かに梁山泊は今や飛ぶ鳥をも落とす勢いだとか。しかし梁山泊は黄河をも越えた遥か先の地。我らはこの黄門山が故郷でもあるのです」

 うむ、と唸る宋江。

 思わず口に出してしまったが、それは素直に彼らの力が梁山泊に必要だと思ったからでもあった。

「それはいきなり過ぎるというものだ、宋江。ましてや晁蓋どのの考えもあるだろうに」

 花栄が謝るように口を添えた。

 穆弘は黙って酒を飲み、李俊は口の端(は)に笑みを浮かべていた。

 李俊は思う。この宋江という男、自覚しているかいないかは分からないが、人を集める何かを持っているようだ。

 彼らは晁蓋の出方を待っていた。李俊らも晁蓋とは出会って間もない。これから属する事になる梁山泊を率いている男を見定めているのだろうか。

「うむ、わしとて貴方達に来てもらえるのであれば申し分はない。しかし故郷を捨ててまで来い、とは言う訳にいくまい」

 しばしの気まずい沈黙が訪れた。

 誰もが口を開くのをためらう中、

「ま、せっかくの宴だ。華を添えましょうか」

 と馬麟が立ち上がり、鉄笛を取り出した。

 遊び人上がりの馬麟である。場の雰囲気を読んだのだろう。

 こういう気の効かせ方に、欧鵬は助けられているのかもしれないと思った。

 朗々と笛の音(ね)が鳴り響いた。

 やはり、馬麟の笛はいつ聴いても心地よいものだ。

 そっと欧鵬は目を閉じた。

 

 梁山泊の面々が、黄門山から旅立って行った。

 去り際に、蔣敬と呂方は昔話に花を咲かせていたようだったが、やがて互いの陣へと戻って行った。

「良(い)いだか、蔣敬」

 陶宗旺が心配そうに言ってくれたが、蔣敬は案外涼しい顔をしていた。

「なに、あいつの近況が知れただけでも良かったというものさ」

 そう言って、去りゆく梁山泊軍を見つめていた。

「お前はどうしたかったのだ、馬麟」

 欧鵬は床几に腰かけ、腕を組んでいた。

 顔だけをちらりと向けると、馬麟は口の端を歪めるような仕草をした。

「まあ、いくら梁山泊とはいえ通りすがりの連中に、はいそうですか、とついて行く訳にもいかないからな」

 はっきりとした答えにはなっていないが、欧鵬はそれ以上言うのをやめた。

 あの後、晁蓋は言った。

 我々は国と戦っているつもりだ。梁山泊に来る来ないは別として、共に戦おうではないか。

 欧鵬らは何も言えなかった。

 国と戦っている、だと。

 確かに歴史の上では幾度となく国が倒され、幾度となく国が作られてきた。それらは民衆の叛乱が一因となる事も多かった。

 そしてまたこの黄門山のように、今も各地で落草した者たちが山寨を構えているという。その中でも梁山泊はおそらく一番の規模になるのだろう。

 はからずも、宋江が準(なぞら)えられた黄巣のような連中が国中に跋扈しているのだ。

 この国は腐敗している。苦しんでいる民のため、国を救いたい。その宋江は、そう言っていた。

 国と戦うのか、国を救うのか。

 いずれにせよ、欧鵬には思いつきすらしない事だった。

 馬麟も蔣敬も陶宗旺も、晁蓋という男に、宋江という男に興味を持ったようだった。

 軍人でもあった欧鵬は知っている。この国が、どんなに腐っているかを。

「梁山泊、か」

 欧鵬はぽつりとつぶやいた。

 蔣敬と陶宗旺が見送りから戻った時である。手下が慌てて駆けこんできた。

「江州から軍が押し寄せています。おそらく梁山泊を追っているかと」

 このままでは追いつかれてしまうだろう。

 共に戦う、と約束した訳ではなかった。しかし見過ごす事ができる欧鵬ではなかった。

「まったく、面倒事ばっかり起こすんだな、あいつらは」

 欧鵬が口を開くより先に、馬麟が武器を手にした。悪態をつきながらも、どこか嬉しそうな顔だった。

「でもあの人たち、悪い人じゃあねぇだよ」

 陶宗旺も笑っていた。

「当り前だ。俺の古い知り合いだぜ、悪人の訳がねぇ」

「無茶苦茶言うなぁ、蔣敬」

 苦笑する馬麟に、蔣敬は何が可笑しいという顔をしていた。

「何だよ、お前らだって悪人じゃねぇだろ」

 欧鵬は微笑んだ。

「梁山泊とはすでに友だ。友に刃を向ける者を、我らは許さん」

 出陣だ、と欧鵬が立ち上がる。

 その言葉を待っていたとばかりに三人が飛び出してゆく。

 欧鵬は槍掛けの槍を手にすると、ゆっくりと歩き出した。

 

 北へと続く道に、梁山泊軍がいた。

 殿(しんがり)を進むのは紅と白の衣に身を包んだ二将。

 そのうち紅衣の将、呂方が突然振り向いた。

 呆けたように口を軽く開け、遠くの空をじっと見ていた。

 それに気づいた白衣の将、郭盛が馬を止めた。

「どうした、呂方」

「聞こえなかったかい、郭盛」 

「何がだ」

「笛の音(ね)さ。まさか」

 呂方は馬首を返すと、黄門山への道を駆け始めた。

「おい、待て」

 慌てて後を追う郭盛。

「お前まで来ることはない」

「へっ、お前に何かあっちゃ困るんだよ。お前とはまだ勝負がついてないんだからな」

 ふふ、と笑って呂方は馬腹を強く蹴った。

 呂方と郭盛が離脱。その報告を聞いて、晁蓋は驚く事なく微笑んだ。

「全軍そのまま進め。二人は後から必ず追い付いてくる」

 毅然としたその態度に李俊は、にやりとした。

 部下に全幅の信頼をよせる、梁山泊の長たる者の姿をそこに見たからだ。

 宋江が首を伸ばし、後方を振り返った。

 土煙を上げながら、紅と白の二騎が見る間に小さくなってゆくのが見えた。

 友か、とつぶやくと、花栄と目が合った。

 花栄がにっこりと微笑んでいた。

bottom of page