108 outlaws
戦友
四
普段は土を耕す鍬や鋤を天に振りかざし、稲を刈り取る鎌を手に農民たちが吼え猛ていた。
「出て来い」
「よくも今まで騙してくれたな」
「俺たちの米を返せ」
農民たちは叫びながら地主の屋敷を取り囲んでいた。どの顔にも怒りが浮かんでいた。
あの日、蔣敬が陶宗旺の家に再び戻った日、村の人々を集めた。そして蔣敬がその目で見た事をありのままに農民たちに語った。しかし余所者(よそもの)の蔣敬の言葉を、彼らもおいそれと信じる事ができなかった。
「こいつは、蔣敬は信じられる男だ」
陶宗旺の言葉が彼らの後押しをした。正直者を絵に描いたような男の言葉である。蔣敬が重ねたどんな言葉よりも重みがあった。
蔣敬は陶宗旺を見て、複雑そうな顔でにこりと笑った。
門が開き、地主が姿を現した。
悪びれもしない、堂々とした態度だった。
「一体何の騒ぎだ。お前ら、仕事はどうしたのだ」
農民たちを睨みつける地主。その視線に彼らも一瞬たじろいだ。
「みんなの米を返してもらいに来ましただ」
陶宗旺は鋤をしっかりと握り、そう言った。
地主は眉をしかめ、一同を睨みつける。
「一体、なんの話だ。お前たちからもらっているのは税の分だけだ。これは国に収めるための物だという事は知っておるだろう。それを返せというのか」
その視線に農民たちは少し怯んだ。陶宗旺だけは臆することなく言いつのる。
「地主さま、嘘はいけねぇだ。もう騙されねぇだよ」
字も読めぬ農民風情が、という言葉をなんとか飲み込み、地主はあくまでも尊大な態度を崩さない。
「騙す騙さないなどと、本当に何の事を言っているのだ」
大仰に両手を開いて見せる地主。
「わしらは家族のようなものではないか」
「おいらたちもそう信じてましただよ」
陶宗旺が一歩、地主に詰め寄った。
すると屋敷の中から騒々しい物音が聞こえてきた。下男たちが駆け寄ってきた。
「旦那さま、大変です。蔵に火の手が」
みなまで言わせず、地主は慌てて屋敷へと戻った。敷地の奥にある大きな蔵へと駆けてゆく。陶宗旺も農民たちを率い、下男たちを押しのけそれを追った。
蔵から煙が上がっていた。
「早く鍵を。何をしているお前ら」
地主が下男たちを叱り飛ばす。渡された鍵を錠に刺し込もうとするが、指がもつれて上手くゆかない。
地主の背後で陶宗旺が鍬を振りかぶっていた。
ぎょっとした地主が転がるように横へ逃げた。しかし鍬は地主ではなく、蔵の扉を見事に破壊した。さらに地主はそれにぎょっとするのであった。あの厚い扉が、ただの一撃で叩き壊されたのだ。
いつの間にか番頭が横にいるのに気が付いた。
「おお神算子、お前か。何をしておる、あいつらを止めんか」
その言葉に頷くでもなく、地主の番頭すなわち蔣敬は、一歩前に出ると農民たちに向かって言い放った。
「みんなの米はここにある。みんなから不当に集められた米がここにある。さあ、持って行ってくれ」
わあ、と歓声を上げ農民たちが蔵の中へと押し入った。そして次々と米の詰まった俵を担ぎだしてくる。
「おらたちの米だ」
「こんなに隠していやがったのか」
地主はへたり込みながらも、蔣敬に喰ってかかった。
「貴様が手引きをしたのか、この一件は。拾ってやった恩を仇(あだ)で返そうというのか」
「悪徳地主が何を言ってやがる。俺の命はこいつにすでに拾われてたのさ。だから、陶宗旺に恩を返すだけさ」
陶宗旺は鍬を握り、じっと立っていた。
蔵の米があらかた運び出された頃、火の手が大きくなった。蔵に火をつけたのも、鍵を変えておいたのも蔣敬だった。
「地主さま、仕方ねぇ。嘘ついてたんだから」
陶宗旺が慰めるように言った。
「貴様ら、絶対に許さんぞ。覚悟していろ」
蔣敬と陶宗旺は地主の怒声を背に聞きながら、村への道へ向かった。
「まだ終わってないぜ、陶宗旺」
ああ、と陶宗旺は微笑んだ。
陶宗旺が鍬(くわ)を手に畦道に仁王立ちしていた。
斜め後ろに蔣敬がいた。手には柄を短くした鋤(すき)を持っている。
「来たな」
「来ただな」
二人の視線の先に軍勢が見えていた。官兵である。四、五十はいるだろうか。
地主はすぐに役所に訴え出た。
農民たちが謀叛を起こした。このまま放置しておくことは危険と判断し、即刻兵を派遣しこれを鎮圧せしめよ。歯向う者は問答無用に斬り殺して構わない。
地主と普段から好(よしみ)を通じていた役人はすぐさまそう命令を下した。
「お前たちがこの度の謀反の首謀者か」
先頭に立つ兵が陶宗旺と蔣敬に刀を突き付ける。
「謀反だって。俺たちは盗られていたものを返してもらっただけさ」
蔣敬がそう言い、陶宗旺が首肯した。
官兵の長がひるんだ表情をした。陶宗旺らの背後に、農具を持った農民たちが集まって来たのだ。彼らは何も言わず官兵たちを睨みつけている。
「く、口答えするのか。お前ら、かかれ」
己を鼓舞するように兵長が叫び、兵たちが押し寄せた。
しかし蔣敬と陶宗旺が、背を向けて逃げ出した。農民たちもそれに倣い、散ってゆく。
「ふふ、所詮農民か」
兵長は農民たちを追うように指示を飛ばす。
と、農民たちがこちらに向き直った。再び農具を構え交戦の態勢になる。
兵たちがそれと向き合った。農民一人につき、兵が二、三人といった割合になった。
だが農民たちはそんな不利な状況でもおびえた様子はなかった。むしろ笑みさえ浮かべている者までいるようだ。
その時、兵長が気付いた。
農民たちが立っている場所である。彼らはすべからく田の中にいた。
待て、という声は届かなかった。
兵たちは農民を追って、すでに田に飛び込んでいた。その勢いで農民に斬りかかろうとする官兵。
しかしそれはできなかった。
泥に足を取られ、田の中に顔から転んでしまったのだ。転ばなかった兵も、泥の中で思うように動く事ができなかった。
兵長は陶宗旺の横にいた小柄な男を見る。その男がにやりと笑っていた。罠という事か。
蔣敬が叫ぶと、農民たちが兵たちを攻撃し始めた。
彼らにとって田の中など勝手の知れたもの。泥を意に介さず、次々と兵たちが倒れてゆく。
「おのれ、農民たちに入れ知恵をしおって」
兵長が刀をしごき、陶宗旺と蔣敬に向かう。しかしすでに彼らも田の中にいた。足を踏み入れるのをためらう兵長。
「卑怯者め、こっちへ出て来い」
兵長が負け惜しみのように叫んだ。
それに応えるかのように陶宗旺が田から出た。
「おい陶宗旺、何やってるんだ」
蔣敬の言葉も聞かず兵長へと近づいてゆく。
思わぬ好機に口を歪めた兵長は刀を振りかざした。陶宗旺の肩口に狙いをつけ振り下ろした。
しかしその時、陶宗旺の左手が動いた。
持っていた鍬で刀を弾き飛ばし、今度は右拳を素早く突き出した。
兵長の胸の真ん中あたりに、それは突き刺さった。
ぐへ、と声にならない声を上げ兵長は後方へと吹っ飛び、地面に転がった。
蔣敬は口をあんぐりと開けていた。
九尾亀。地主が言っていた、陶宗旺の渾名を思い出した。
農民たちが歓声を上げた。見ると官兵たちはすべて倒され、残りも逃亡したようだった。
「あんたの作戦のおかげだ」
「さすがは神算子だなあ」
「陶宗旺の腕も大したもんだ」
陶宗旺と蔣敬、二人の周りに村人たちが集まり笑顔があふれた。
しかし、
「そこまでだ」
と聞き覚えのある声で、それは止む事になる。
地主だ。馬に乗っていた。
後にも馬がたくさん見えた。騎兵だ。
「念のために来てみれば、何という事だ」
地主の横の騎兵隊長がつぶやくように言った。
蔣敬は農民たちを田の中へと戻らせた。騎兵相手にどこまで通用するか分からないが、そうするしかなかった。
地主は大きく溜息をついた。
「お前たちが悪いのだ。そのどこの馬の骨とも知れぬ男の言葉を信じた、お前たちの罪なのだ」
騎兵がじりっと近づいた。
隊長の手が上がった。振り下ろされた時、騎馬が駆ける。
ところがそれは起きなかった。
騎兵隊長が手を上げたままの姿勢で、馬から落ちたのだ。
「隊長どの、一体」
駆けよった地主が見たのは、槍だった。
隊長の胸に突き刺さった槍だった。隊長は地主の方を、何か言いたげに見るとそのまま息絶えた。
向こうの畦道に誰かが立っていた。
二人の男のようだった。
男の一人が何かを口元へ持っていった。
村中に笛の音が響き渡った。
たった二人の男に騎兵たちが蹂躙されてゆく。
槍を放った男は、風のように駆けてきて槍を取り戻すと、そのまま騎兵たちを攻撃した。
笛の男は両手に持った刀で、槍の男と共に暴れ出した。
「あんたもやるもんだな、欧鵬の旦那」
馬麟にそう言われた欧鵬は、かつて上官を殺した事を思い出していた。
罪もない村人たちを自分たちの仲間である官兵が次々と殺していった。家々に火をつけ、それは強盗や山賊と何も変わらなかった。
建康から脱出し、故郷である黄門山へ帰る途中の事だった。
その光景が目の前で再び起きていたのだ。
いや、事情は違うのかもしれない。
しかし村人を騎兵で襲うなど、理由がどうであれ赦すべき事ではなかった。
そして槍を放った。
「なんだ、こいつら。た、隊長」
兵の一人が叫ぶが、すでに隊長は息絶えていた。統率する者のない騎兵たちは欧鵬と馬麟に蹴散らされてゆく。
蔣敬はこれに乗じ、村人たちを逃げさせた。
だがそこへ一騎が追いすがる。
馬が竿立ちになった。目の前に陶宗旺が両手を広げて、騎兵を遮っていた。
「陶宗旺」
叫ぶ蔣敬。
陶宗旺は怯むことなく、馬の体をそのまま担ぎあげると、兵もろともひっくり返してしまった。
「馬さん、すまねぇなあ」
まるで戦いの最中とは思えない、のんびりとした口調に蔣敬は呆れるばかりだった。
「はは、面白い男がいるなぁ」
馬麟は笑いながらも、確実に騎兵を仕留めてゆく。
欧鵬の槍が最後の一兵を貫き、戦いは終わった。
巻き上がった土埃がおさまり始めた。
畦道には地主だけが、怒りとも怯えともとれる表情でうずくまっていた。
「ありがとう、お二人さん。本当に助かっただよ」
地主などいないかのように、陶宗旺が満面の笑みで礼をした。
蔣敬は、二人の正体を見定めるように隠れるようにしていた。
「礼などよしてくれ。余計な事をしてしまったかもしれんからな」
欧鵬は槍の血を拭きながらそう言った。
「まあそう言うなよ、旦那」
馬麟が名乗り、欧鵬を紹介した。
「俺は蔣敬、こいつは陶宗旺だ」
信用できると算段したのか、蔣敬がこれまでの事情を説明した。
馬麟は、そいつは許せねぇなと怒鳴り、欧鵬は無言で怒りを露わにしていた。
いつの間にか村人たちが戻って来て、地主を取り囲み始めた。誰の顔にも怒りが滲み出ていた。
「お、お前ら。どうする気だ。このままですむと思うなよ。いや、やめてくれ、命だけは」
地主は頭を抱え小さくなっていた。
やっちまえ、と村人の誰かが叫んだ。鍬や鋤が高く掲げられた。
「待ってくれ、みんな」
陶宗旺だった。
「もう盗られた物も返してもらったし、なにも命まで奪う事はねぇだよ」
本当にそれで良いのか、という目で一同が陶宗旺を見つめる。何より、一番搾取されていたのは陶宗旺自身ではなかったのか。
陶宗旺が許すのなら、と村人たちは矛を収めた。
地主はよろよろと立ち上がり、陶宗旺へ近づいてゆく。目から涙を流し、すまないすまない、と呟いている。
地主の顔が、にやりと笑った気がした。
蔣敬は間に割り込むと、手にしていた鋤を地主の脳天に突き立てた。
蛙のような声を発し、地主は絶命した。
しかして蔣敬の腿には短刀が深々と突き立てられていた。
地主に謝罪の意思など無く、あわよくば陶宗旺の命を狙っていたのだろう。
「優しすぎるのも考えものだぜ、陶宗旺」
うう、と蔣敬がうずくまった。
陶宗旺はその襟首を掴み、ひょいっと肩口に乗せてしまった。
「やあ、また助けられただなぁ。さすがは神算子どのだ、なあみんな」
子供のように肩車をされた蔣敬は、恥ずかしくて降ろせ降ろせと喚いていた。しかし陶宗旺は、怪我人は黙って言う事を聞くだ、と言うばかりだった。
そのやり取りを見ていた馬麟と欧鵬は顔を見合せて笑った。
なんだか微笑ましい気持ちに包まれたようだった。
静かになった田から顔を出した蛙が、げこりとひと声鳴いていた。