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虎穴

 聚義庁に集まった頭目たちは、李逵の母の冥福を祈った。

 宋江などは涙ぐんでいたようだった。

 また沂州から朱富と李雲が梁山泊に加わる事になり、晁蓋は、

「李逵が虎を四頭退治したおかげで、新たに生きた虎が二頭手に入ったという訳だな」

 と喜んでいた。

 李逵は少し怒ったような顔をしていたが、宴の酒が運ばれてくると、すぐに嬉しそうな顔になった。

 李雲の元にも杯が回ってきた。口をつけぬのは失礼と、やはりふた口だけ飲んであとはその杯で茶を飲んでいた。

 茶をすすり、李雲は思う。あの後、朱富の説得もあり、梁山泊に来てしまった。薬を盛られ、李逵を逃がしてしまった。だが、師であるはずの自分にこのような事を仕出かした朱富を、李雲は咎める気がしなかった。

 店を捨て、故郷を捨て、そして命まで捨てる覚悟で李逵を救い出した。それほどまでのものがこの梁山泊にはあるのだろう。朱富の必死な表情にそれを感じた。

 それにあのまま戻っていても、大罪人の李逵を逃したのだ、相応の罰を受けただろう。己自身だけならばそれは構わない。だが李雲は部下の身を案じた。

 目を覚まし、追って来た部下たちと話をした。ほとんどが梁山泊へ行く、と言った。李雲は彼らの返答に驚くしかなかった。

 実際、李雲も役人の横暴を何度もその目で見てきた。何度も役所に窮状を訴える民たちをやむなく追い払わされた事もあった。そんな日は、飲めぬ酒でも飲みたくなる気分だった。

 別天地のようだ、と謳われる梁山泊。本当にそうなのか、ならばこの目で確かめてやろう。他の山賊どもと変わりがないのならば、それまでだ。

 朱富の兄、朱貴が徳利を差し出してきた。

「こいつは弱めの酒です。だが味は良い」

 では、とひと口飲んだ。確かに美味かった。

 周りでは朱富が持ってきた酒に、一同が美味いと連呼していた。

 李雲の青い瞳に、嬉しそうな朱富が映っていた。

 李雲もなぜか嬉しくなり、今日はもう少しだけ飲んでみようと思った。

 

 もともとあった朱貴の店に加え、東西南北に同じように居酒屋が増設された。

 東はそのまま朱貴が、西のは童威と童猛兄弟が、北は石勇が受け持ち、そして南の店は李立が主(あるじ)を務める。これで、これまで以上に情報探知の速度と精度が上がる事になった。

 その建築には、本人の申告で李雲が指揮を執った。

 李雲は青い目、彫りの深い顔でも分かるように、西の民族の血を引いていた。祖先は大工を代々しており、李雲の父も大工だった。父は先祖伝来の建築とこの国の建築の良い所を融合させようとしていたという。そして李雲も若い頃から都頭になる前までその仕事を手伝っており、知識も腕も申し分ないものだったのだ。

 久しぶりに金槌を振るう李雲は、大工仕事の楽しさを思い出していた。

 父が早くに死に、李雲は大工ではなく都頭になったものの、父の遺志はいつか継ぎたいと思っていたのだ。戦う事よりも、自分には向いているのかもしれない。

 李雲の頭の中には、さまざまな建物の図面が浮かび始めていた。

「ちぇ、李雲の旦那、こっちも少しは手伝ってくれよな」

 鋸を手にした馬麟が額の汗を拭いた。馬麟はその鋸で、船の側面に使う板を切っていた。

 馬麟は建康で同心になる前は遊び人であった。その頃、さまざまな仕事に手を出していたのだが、その中で造船にも関わった事があったのだ。

 だがあくまでも、本職の船大工を探し出すまでの間だけ、という事で馬麟が選ばれた。もちろん阮三兄弟など漁師も多くいる梁山泊である。船の修理などはお手の物であるのだが、こと軍船などになるとやはり専門の職人でなければならなかった。

「こっちがもうちょっとで落ち着くから、そしたら手伝うだよ。待っててくれ、馬麟」

 梁山泊に巡らされた宛子城(えんしじょう)、その修復のための石材を運びながら陶宗旺が笑った。

 聚義庁に併設されている建物で、蕭譲は大忙しだった。黄門山そして沂州からまた人員が加わり、呉用は新たな編成を決めた。そのための書類の製作に日がな一日筆を走らせていた。蕭譲は書の教師であった。しかし達筆さにおいて秀でていても、書類を書くとなるとこれは違う話なのであった。

 ふう、と蕭譲が一息入れようと筆を置き、両手を上げ背を伸ばした。

「ご苦労様です。精が出ますね」

 そこへ宋江が入ってきた。積み上がった書類を見て微笑んでいる。

「ああ宋江どの、おかげで何とか慣れてきたようです」

 さすがですね、と言いながら宋江が持ってきていた茶を入れてくれた。

 晁蓋に次ぐ地位にありながら、まったくそれを表に出さない人だ、と蕭譲は湯気の立つ茶碗を受け取った。

 蕭譲は宋江に書類の書き方などを教わったのだ。宋江は鄆城で胥吏(しょり)をしており、こういう仕事に関しては慣れたものであったからだ。

 私にできる事はこれくらいですから。

 などと言っていたが、それが謙遜ではなく本心だという事に、蕭譲も宋江と話していて分かるようになった。

「私の顔に何かついてますか」

 あ、いえと蕭譲は目をそらし、

「しかし、まったく大した連中が集まってきましたね」

 と話を振った。

「ええ、これもひとえに晁蓋の兄貴の威名のおかげでしょうね」

 と笑う宋江に蕭譲は、及時雨のおかげでもありますよ、と心の中でつぶやいた。

 しばらく雑談をして宋江が出て行った。実際にその目で、今回の編成の様子を見て回るのだろう。正直、配置された部署に不満がある人間もいたという。

 その最たる者が穆春だった。

「どうして俺が糧秣管理なんかしなくちゃいけねぇんだよ」

 そう言って呉用に食ってかかったのだ。

 同じく担当であった朱富が、金銭糧秣は大事な生命線で重要な職務なのだ、といくら説いても穆春は、配置変えをしろの一点張りだった。

 そこへのそりと大きな男が現れた。穆春の兄、穆弘であった。

「丁度良い、兄貴。兄貴からも言ってくれよ、俺の」

 と、話の途中で穆弘は穆春の襟元をむんずと掴んだ。そして太い腕でそのまま持ち上げると、壁に向かって思い切り放り投げてしまった。

 穆春が一直線に飛んだ。

 うぐっ、と嗚咽を漏らし穆春が壁に激突した。壁にひびが入り、漆喰がぽろぽろと剥がれ落ちた。

 しかしそれで終わりではなかった。穆弘はさらに穆春に向かって駆けた。

 床にへたり込んでいる穆春をまた掴むと、また別の壁に向かって放ったのだ。

「穆弘を止めるのだ」

 一同が何が起きているのか把握できぬ顔をしている中、晁蓋がやっとの事でそう叫んだ。

 その声に、弾かれたように劉唐と杜遷が穆弘を抑えにかかる。穆弘は二人にしがみつかれながらも、なおも穆春を掴みあげた。劉唐が止める。 

「やめるんだ、穆弘。弟が死んでしまうぞ」

 さらに宋万と陶宗旺が加わり、穆弘はやっとその手を放した。

 穆春は口の端(は)に血をにじませ、床に倒れていた。

 穆春を睨み、穆弘が野太い声で言った。

「ここはもう掲陽鎮じゃないのだ、春(しゅん)。与えられた役目をやりもせずに、文句を言うんじゃねぇ」

 劉唐ら四人がゆっくりと穆弘から離れた。もう大丈夫なようだ。

 穆弘が背を向け、聚義庁を出てゆく。そして出口で立ち止まり、顔だけ振り返り言った。

「弟がわがままを言ってすまねぇ。配置変えはしなくて結構、こいつには役目を全(まっと)うさせますんで」

 そして穆弘は静かに出て行った。

 誰もがその大きな背中を見て、没遮攔の意味を実感していた。

 その後、怪我を治療した穆春は、むしろ積極的に役目をこなそうとしているという。穆弘の言葉と、彼なりの愛の鞭が効いたのだろうか。仕事などまともにしたことの無い穆春であるが、朱富にひとつひとつ聞きながら、それは必至だというのだ。

 それを聞いて宋江は喜びつつも、思うところがあった。

 人は変われるのだ。いつしか李俊に言われた言葉が再び脳裏に甦る。

 及時雨にふさわしい男にならなければいけない。

 穆春は変わった。自分は変われるだろうか、いや変わらなければいけないのだ。

 そう考えながら金沙灘にまでやってきた。

「やあ宋万に白勝、調子はどうだね」

 白勝は煙管(きせる)を咥え、宋万と談笑していた。どうやら休憩中のようだ。

「これは宋江どの。これからますます忙しくなりやすぜ、ここも」

 白勝が煙をぷかりと出して言った。

 ちらりと宋江は宋万を見た。宋万も嬉しそうな顔をしていた。

 あの夜、宋万は宋江が鄆城へ行く事を見逃してくれた。宋江がいないと露見した時、金沙灘の担当である宋万は当然のごとくその責を問われた。

 宋万は、居眠りをしてしまった、と晁蓋に詫びたという。

 後日、それを知った宋江は、責任は自分にある、と宋万を赦してもらうよう頼みこんだが、当の宋万がそれを許さなかった。

 己がした事の責任は己がとる。そう言って、向こう三カ月の減給を受けたのだ。宋江はそれ以上何も言わず、ただ宋万に感謝した。

 三人が話していると、船がやってきた。白勝が手を上げた。

「どうだった」

 情報収集のため北に送った、白勝の配下だった。その者は何も言わず眉を曇らせ、聚義庁へと報告に駆けて行った。

 晁蓋は床几から立ち上がると、

「公孫勝先生を呼び戻しに、薊州(けいしゅう)へ行って欲しい」

 と戴宗に告げた。

「何かあったんですかい、北で」

「うむ、ちょっと不穏な動きがな。それに、もう戻ってきても良い頃なのだが音沙汰がない。無事だとは思うが念のため、だ」

「分かりました。十日もあれば様子が分かるでしょう」

 一緒に行きたいとごねる李逵を説得し、戴宗が北側の鴨嘴灘(おうしたん)へ向かう。久しく使っていなかった、金沙灘に次ぐもうひとつの船着き場である。

 侯健がしつらえた役人の服を着た戴宗を、王英と鄭天寿が見送った。

 戴宗も北の地、薊州へは初めてとなる。

 戴宗は荷の中の札を確かめ、顔を上げた。

 公孫勝が梁山泊を出てから百日と、八日が過ぎていた。

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