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決着

 梁山泊が四方から押し寄せてきた。

 慌てふためいた祝朝奉をなだめ、欒廷玉が指示を飛ばす。

「表門からは祝竜、祝彪が。裏門からはわしと祝虎が出る。祝朝奉さまは、念のため安全な場所にお隠れください。これが総力戦となりましょう」

「私は、どうすればよい」

 孫立の問いに、祝彪が答えた。

「俺たちだけで充分だ。あんたは祝宴の準備でもして待っていればよい」

 祝彪はそう言い放ち、出て行った。

 孫立は欒廷玉を見た。欒廷玉は少し困ったような顔をして、

「すまない。お前は屋敷を、門を守っていてくれ」

 と言って鉄棒を掴んだ。

「分かった。待っているぞ、兄弟」

 うむ、と頷き欒廷玉が戦場へと向かった。

 軍鼓が鳴り響き号砲が上げられると、一斉に鬨(とき)の声が上がった。

 東に林冲が率いる一隊。その中に李俊や阮小二の姿が見える。別動隊も合流しての総攻撃だった。

 西には花栄、張横、張順らが。南は穆弘が楊雄、李逵らを従えていた。そして北に陣取るのが宋江のいる本隊だ。

 東に向かった祝竜が林冲を見とめた。手綱を引き、林冲に狙いを定める。

「行くぞ、梁山泊の山賊どもめ」

 祝竜の槍が煌いた。林冲は蛇矛でそれを受け止めた。

 その瞬間、祝竜の槍が跳ね上げられ、腕に痺れるような衝撃を受けた。辛うじて槍を手放さなかった祝竜に、林冲が襲いかかる。慌てて槍で防ぐが、祝竜は目を剥いた。放たれる一撃一撃がすべて重かった。防いでもそのたびに手が痺れ、痛みが走る。槍を握るのも辛くなってきた。反撃などできるものではなかった。

 馬鹿な、と祝竜は思った。昨日まで戦っていた男と別人のようだった。だが目の前にいるのは紛れもなくあの男だ。

 手を抜かれていたというのか。何のために。

 困惑したが、到底勝ち得ぬと見た祝竜は馬首を返し、逃げ出した。林冲は蛇矛を納め、それを見つめるだけだった。

 追っても来ないのか、舐められたものだ。

 祝竜は屋敷へと舞い戻った。しかし裏門が騒がしい。

 孫立が連れてきた解珍と解宝とかいう二人だ。解珍と解宝が手にした杈(さすまた)を振り回し、敵を屠っていた。いや違う。二人が突き殺しているのは、祝家荘の兵たちだった。

 何をしているのだ、奴らは。弟たちにに知らせねば。

 祝竜は方向を変え、北へと駆けた。だが突然、祝竜の体が地面に投げ出された。

 転がりながら体勢を整え、膝立ちになった。馬の足が斬られていた。

「へへ、見つけたぜ」

 見上げると、黒い肌の大男が立っていた。両手に斧を持っており、その刃が血に濡れていた。こいつが馬の足を斬ったのか。

 男は李逵だった。南にいたはずだったのだが、抑えきれるはずもなく自由に戦場を駆け回っていたのだ。

 李逵が斧を振り下ろした。祝竜は咄嗟に槍を楯にした。

 しかし、その槍は小枝のように叩き斬られ、祝竜の首も宙に舞った。

 

 屋敷から火の手が上がった。

 穆弘と戦っていた祝虎はそれを見ると急いで引き返した。

 敵が屋敷に攻め込んだのか。屋敷は孫立たちが守っているはずだが。

 確かに門には孫立が陣取っていた。だが、その孫立が梁山泊の兵を次々に屋敷に呼びこんでいるのだ。

「貴様、梁山泊と通じていたのか」

 吼える祝虎の刀を、孫立は難なく受け止めた。

「すまんな、貴様らに恨みはないのだが、こうする他なかったのだ」

 ちっ、と舌打ちし、祝虎はその場を離れた。

 欒廷玉の姿が見えない。こうなれば祝彪と合流するしかあるまい。しかし北に向かったはずの祝彪も見当たらない。

 そして目の前には宋江率いる一隊がいた。敵将の首、宋江の首を取ればこの戦いも終わる。祝虎はただ宋江一人を目がけて駆けた。馬上で刀を構え、吼える。

 だがそれを二将が遮った。宋江の脇を固める呂方と郭盛であった。ふたつの方天画戟に、祝虎が貫かれた。

 祝虎の刀は、宋江に届くことなく、むなしく地面に落ちるのみであった。

 

 号砲が打ちあがったと同時に、孫新が動いた。

 鉄鞭で門衛を打ち倒し、門楼へと駆け上がる。そして準備してあったものをそこに掲げた。

 梁山泊の旗じるしである。

 何が起きたのかわからぬまま立ち尽くす祝家の兵たちを、楽和がなぎ倒してゆく。楽和は槍を、舞うように使いながら歌を歌い出した。それは屋敷中に朗々と響きわたる声だった。

 それを合図に鄒淵と鄒潤が、隠れていた門から飛び出した。門衛たちを斬り殺し、鄒潤がその場を確保、鄒淵は別の場所へと駆けた。

 返り血に濡れた鄒淵は牢へとたどり着いた。手斧で錠を壊し、中へと入った。

「待たせたな。存分に暴れてくれ」

 枷から解き放たれた秦明が雄叫びをあげた。霹靂火と呼ばれる男だというのもうなずけた。負けじと鄧飛と王英も吼え、外へと駆け出して行った。黄信と石秀も、鄒淵に目礼するとそれぞれの武器を手にした。

「助かったよ。借りを作っちまったなぁ」

 自由になった両腕を回しながら楊林が笑った。

「お互いさまだろ。さて、あいつらに獲物を横取りされちまうぜ」

「違いない」

 鄒淵がにやりと凶悪そうな笑みを浮かべた。

 

 何という事だ。あの欒廷玉の同輩という男が、梁山泊の回し者だったとは。まさか欒廷玉まで一枚噛んでいるのだろうか。

 祝朝奉は護衛に守られながら廊下を抜け、庭に出た。高齢のためか、すでに肩で息をしていた。だがそれでも休まずに庭を駆けると、ある場所で足を止めた。

 そこには井戸があった。井戸は相当の年月を経ているようで、水が枯れていた。

「急げ、急ぐのだ」

 祝朝奉は護衛に持たせていた財宝などを下ろしてゆく。そして全て下ろし終えると、護衛を急(せ)きたてた。

「最後はわしだ。下りるから手を貸すのだ、早く」

 しかし護衛の手助けはなかった。祝朝奉が振り返ると、護衛たちは悲鳴を上げて遠くに逃げてゆくところであった。

 待て、と叫ぼうとしたが、祝朝奉も悲鳴をあげてしまった。視線の先の男がこちらに向かって駆けだした。その男は石秀だった。

 ひい、と祝朝奉がまた悲鳴を上げ、井戸に向かって飛んだ。

 しかし、がくんと祝朝奉の体が中空で静止した。

 祝朝奉の襟首を、石秀が左手でがっしりと掴んでいたのだ。

 祝朝奉は目を丸くし、驚いた。年老いたとはいえ、男の体を片手で支えるなど、何という力なのか。

 祝朝奉は再び悲鳴を上げたが、それはすぐに途切れた。石秀がもう一方の手に持っていた刀で、祝朝奉の首を両断したからだ。

「好きなだけ、井戸に隠れているんだな」

 石秀は骸となった祝朝奉を井戸に落とすと、その場を駆け去った。 

 その井戸の底から、いくつかの小さな光が見上げていた事に、石秀は気がつく事はなかった。

 

 祝彪が馬を駆けさせながら屋敷を振りかえり、舌打ちをした。

 屋敷から火の手が上がっている。梁山泊に攻め込まれたというのか。あの男、孫立とかいう男が守っていたのではないのか。まったく役立たずめ。

 祝竜が討たれるのを遠目に見た。祝虎は北の梁山泊本体へと向かったがどうなったのであろうか。そして師である欒廷玉の姿が見当たらなかった。祝彪も欒廷玉の強さは認めている。あの男が負けるとは考えにくいが、今はそれどころではない。

 祝彪は残りの手勢を集め、彼らに指示を飛ばした。

「お前らは李家荘へ行け。あの李応の老いぼれをここへ引っ張り出してこい。お前のせいで独竜岡が滅ぶぞ、と脅してでも援軍を出させるのだ。もし言う事を聞かなければ、かまわん、奴も敵という事だ。李家荘に火を放ってしまえ」

 李応に啖呵を切ってしまったが、こうなれば恥も外聞もない。この窮地を生き延びるためだ。そして祝彪は残りの兵たちを率い、別の方向へと駆けた。

 扈家荘である。祝家荘ほどではないが、大きな門だった。兵たちに門を叩かせ、祝彪は馬上から呼ばった。

「扈成(こせい)どの、どうして援軍に出てこられぬのだ。いま梁山泊が攻めてきており、祝家荘が危機なのだ。扈成どの、聞こえぬのか」

 門がゆっくりと開いた。扈成の姿がそこにあった。

「扈成どの、いまからでも間に合う。早く援軍を」

 扈成は黙って祝彪を見つめているだけだ。祝彪が何度言っても、扈成は動かない。

 すると屋敷の中から扈太公が駆け出してきた。扈成を押しのけるようにして、祝彪の前へ出る。

「これは祝家の坊ちゃま。すぐに、すぐに援軍を出しますゆえ、どうかお待ちくださいませ。ともに梁山泊を打ち倒しましょうぞ」

「援軍は出しません、父上」

「ど、どうしてだ、成。わしらは盟約を結んでいるのだぞ。しかも祝彪さまは、三娘の旦那になるお方」

 扈成は父を悲しそうな目で見ていた。

「盟約は終わりです。扈家荘は梁山泊とは戦いません」

 祝彪の顔が怒りに満ちてゆく。馬を下り、ゆっくりと扈成の前へ近づくと、やにわに槍を突きつけた。。

「自分が何を言っているのか分かっているのか、貴様。我ら祝家荘のおかげで何とか命脈を保っていられるだけの一族が、調子に乗るな」

「は、早く謝るんだ、成。祝彪さまを怒らせるんじゃない。祝彪さま、今のは間違いです。こやつにはわしから良く言い聞かせますので」

「父上、もうやめましょう。それに聞いたでしょう、この男の言葉を。あれがこいつの、祝家荘の本心なんですよ」

「ああ、そうだとも。お前の妹も本当は娶りたくはないのだ。あんなじゃじゃ馬、誰が欲しいものか。だが海棠の花とたとえられるだけあって器量は良い。婚礼さえすませれば事故か何かで、二度と刀など握れなくなるはずだったのだ」

「言いたい事はそれだけか、小僧」

 小僧だと、と祝彪の顔が紅潮した。怒りにまかせ、扈成に槍を繰り出した。扈成は腰に佩(は)いた刀を軽やかに抜き放つと、後方に飛びながら槍を弾いた。

 二人は扈家荘の前庭で対峙した。

「ふふふ、貴様は一人前に飛天虎などと呼ばれているそうだが、その腕は扈三娘に遠く及ばないと聞いている。ならば俺に勝てるはずもない。素直に負けを認め、盟約の破棄を撤回すれば、許してやらない事も無いのだぞ」

「確かに、私は妹よりも弱い。だからといって、おめおめと負けを見とめる訳にはいかないのだよ。さあ、来るが良い、小僧」

「ぬかせ」

 祝彪は目を怒らせ、突きを何発も繰り出した。扈成は刀を舞わせ、見事に防いでゆく。だが祝彪の圧倒的な技に、扈成は防戦一方となり、その足も後ろへ後ろへと下がるばかりだった。

 祝彪が誘いの手を放ち、扈成がそれに乗ってしまった。刀が空を切り、祝彪の槍が扈成の太腿を切り裂いた。

 扈成は歯を食いしばり、片足で後方に飛び、祝彪と距離をとった。 だが片足に力が入らず、膝をついてしまう。

「終わりだ」

 祝彪が一気に駆けた。気合とともに動けない扈成の首を狙い、槍を繰り出した。

 はずだった。だが槍を繰り出そうと足を踏み込んだ時、その足元の地面が抜けた。足首を強く捻り、その勢いのまま祝彪が顔から地面に突っ込んだ。

 地面に穴が開く、だと。

 祝彪は口に入った土を吐き出し、立ち上がろうとするが、右足に激痛が走った。嫌な捻り方をした。折れてはいないと思うが、それでもまともに歩く事はできないと思えた。

 祝彪の首元にひやりとする物が当てられた。祝彪の目の前に扈成の足があった。首元のそれは、扈成の刀だった。

「落とし穴だ」

「き、汚いぞ、貴様」

「汚くて結構。そのおかげでお前に勝てた」

 扈成は祝彪を見下ろしたまま続けた。

「確かに俺は弱い。武芸ではは到底、妹にも、お前ら兄弟にも敵わないだろう。だから考えるのだ。己が勝つために何ができ、何をしなければならないのかを。腕のみを頼りにしているお前には、分からない事だろうがな」

 祝彪の顔に脂汗が滲んだ。勝つために祝彪を挑発して怒らせ、この前庭に誘い込んだというのか。しかし、そうならない場合はどうしたというのだ。

「そうなった時はそうなった時で、別の手があったのさ。どのみち、豹は虎には勝てなかった、という訳だな」

 扈成は下男たちに命じ、祝彪に縄をかけさせた。祝家の兵たちがそれを見て、散り散りに逃げて行った。

「ああ、そうそう。盟約もそうだが、お前と妹の結婚も白紙に戻させてもらうよ。お前も欲しくはないと言っていたよな。それに、あいつは仮にも海棠の花と呼ばれてるんだ、お前ごときには高嶺の花すぎてもったいなさすぎる」

 扈成が自慢げな笑みを浮かべた。

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