108 outlaws
決着
一
石勇の顔が途端に険しくなった。
客が入って来た。それだけならばいつもの事だ。ここは居酒屋なのだから。
しかし、その客が問題だった。どうやら旅の者らしいが、どうもそれだけではない気配が石勇には感じられた。
入ってきたのは七人だった。五人の男と二人の女だ。
「すまない、茶をくれないか」
背筋がしゃんとした、鋭い動きの男が言った。
店の奥で石勇はさらにいぶかしむ。どうも軍人のような動きだ。
梁山泊の北に位置するこの居酒屋で、石勇は情報探査を担っている。そして梁山泊が勢いを増し、入山希望者が増えているため山寨に近づく者を見極める役割をも果たしていた。 ちょうど朱貴の店と同じ役割である。
先ごろ、何者かが晁蓋暗殺のために忍び込んでいた。晁蓋自身は、いつでも首を捕りに来るが良い、などと笑っていたが、呉用としてはそうはいかなかった。
叱責された朱貴も石勇もそれを見逃した事を恥じ、より警戒を強めている最中(さなか)だった。
軍人風の男の他に、どこか飄々とした男とその妻らしき大きな体躯の女。そして毛皮を着たがっしりした体格の二人は、雰囲気が似ており兄弟か何かだろうか。
眼つきの鋭い男は、異形の頭を持つ男に叔父さんと呼ばれている。こちらも血縁関係なのか。最後に、どうも彼らには似つかわしくない若い男と、小奇麗な格好をした女。
一体、どういう繋がりなのか。茶を運び、戻ってきた給仕が石勇を呼んだ。
彼らが自分を呼んでいるというのだ。
「この店の主(あるじ)を呼んでくれ、と」
「それで素直に応じたのか、お前は」
うつむき加減の給仕を睨む石勇。給仕はそれでも続けた。
「ですが親分。奴ら、梁山泊の名を出したんです」
「だから何だ。これまでも入山希望の者は掃いて捨てるほどいただろう」
ですが、と給仕。なんだ、と石勇。
「奴らが言ったんです。楊林の親分と知り合いなのだ、と」
「何だって」
その言葉の真偽を確かめるべく、石勇は彼らの元へと行った。
「俺は石勇という。いましがた、梁山泊の頭領の名を出されたようだが、一体どういう関係か、お聞かせいただけますかね」
眼つきの鋭い男が言った。
「わしは登州、登雲山の鄒淵と申す。むかし錦豹子どのと知り合いになりまして、いまは梁山泊におられるとか。我ら、訳あって登州から参ったのだが、ぜひお力になれればと」
こちらは手土産代わりに、と鄒潤が持っていた包みを広げた。
現れたのは人の首だった。登州で解兄弟を陥れた孔目、王正という男の首だという。
石勇は顔色一つ変えずにいた。
なるほど登州の登雲山の名は聞いたことがあった。北京にいた頃から、頭領である鄒淵と鄒潤の名も知られていた。あの異形の頭が独角竜の由来か。
登州で堤轄をしていた、孫立という男が事情を語った。やはり軍の者だったか。
最後まで聞き、石勇は部下たちに合図をした。部下たちは訓練されたように、店の要所要所に散った。
「分かりました。皆さま、奥へ」
石勇は孫立らを個室へと案内する。奥へ通された孫立ら一行の下(もと)に酒が運ばれた。
石勇は苦い顔をしていた。これほどの豪傑たちが加入する事は嬉しいのだ。しかし梁山泊の現状を考えると、心苦しいのだった。
「どうしました、石勇の旦那。何かあるのなら、はっきり言ってくれませんか」
登州で居酒屋をやっていたという孫新(そんしん)が言った。ただの酒屋の主人ではない事が伝わってくる男だった。
石勇は酒で口を湿らせた。
「その、楊林どのは、いま祝家荘に捕えられているのです」
いま梁山泊は祝家荘と戦をしている。祝家荘はかねてから梁山泊を討伐すると豪語していた。そんな矢先、晁蓋を暗殺するために祝家荘からの間者(かんじゃ)が忍び込んでいた。この戦は祝家荘側から仕掛けてきたという事になる。
さらに同じ時期、楊雄と石秀が故(ゆえ)あって逃亡中に祝家荘を訪れた際、同行していた時遷という男が捕らえられた。思わず梁山泊を名乗ってしまった彼らは村人たちに襲われ、ほうほうの体で梁山泊に助けを求めてきたのだ。
晁蓋の命を狙った事への報復と、時遷の救出がこの戦の大儀だ。
しかし思いのほか苦戦を強(し)いられていた。これまでに五人の頭領が祝家荘に捕えられてしまったのだ。祝家の三兄弟もそこそこの腕前だったが、なにより彼らの武芸師範である欒廷玉の力によるものだった。
頼って来た楊林が捕らえられたと聞き、孫立らは顔を曇らせていたが、やがて明るい顔で笑いだした。
これには石勇が驚いた。何が可笑しいというのか。
「いや申し訳ない。しかし、これで梁山泊への手土産ができたというものです」
孫立はそう言って笑うと、声をひそめた。合点がいかないままの石勇だったが、孫立の話を聞くと同じように顔を明るくさせた。
「なるほど、そいつは傑作だ」
そこへ部下の呼ぶ声がした。
なんと呉用が祝家荘へ出向くため、出立するのだという。石勇は急いで部下を走らせた。祝家荘戦の鍵は、この孫立らが握っているのだ。
呉用は阮三兄弟と呂方、郭盛を伴っていた。
「すみませんお急ぎのところ、遠回りさせてしまいまして、軍師どの」
「構いませんが、何かあったのですか」
奥から現れた孫立一行を、呉用は横目で見た。呉用は挨拶をすると、そのまま顔色を変えずに話を聞いていた。
「よく来てくれました、皆さん。これでこの戦、勝ったも同じです」
そう言って呉用はいつものように羽扇をくゆらせた。
いつも表情の読めない呉用だが少しだけ嬉しそうに、石勇には見えた。
「久しぶりだな、欒廷玉。まさかこんな所にいるとは思わなかったが、元気そうでなによりだよ」
「お主こそ、孫立よ。登州にいたというのに、よもやここでまた会えるとはな」
二人は笑って杯を合わせた。
戦時の祝家荘であったが、その広間で和(なご)やかな宴が開かれていた。
今朝ほど、祝家荘を訪問する者たちがいた。
出迎えてみれば、登州から来た孫立と名乗る者であった。その名を聞き耳を疑い、己で確認した欒廷玉は目を疑った。
本当に孫立だった。
かつて同じ師の下で、共に辛苦を乗り越えてきた、孫立だったのだ。
「なんと欒先生のご同輩でありましたか」
祝朝奉に、孫立を紹介する欒廷玉の顔が穏やかなものになっていた。祝彪は初めて見た。いつも難しい顔をしている師の、そんな顔を。
登州で堤轄をしていたが、このたび鄆州へと異動になった。梁山泊から鄆州を守るため、孫立の腕が買われたというのだ。そして赴任する途上で、欒廷玉が祝家荘にいると聞き、訊ねたのだ、と孫立が語った。
そして妻の楽大娘子、孫新と顧大嫂夫妻を順に紹介する。解珍、解宝も甥として紹介した。
嘘である。いや、嘘と言って聞こえが悪いのならば作戦、である。
「こちらは登州から送ってくださった軍の方です」
鄒淵と鄒潤が恭しく礼をし、次に楽和を示した。
「お取り込みの中、迎え入れていただき誠にありがとうございます。手前は、鄆州からの使い、尹(いん)と申します」
孫立は思わず楽和の顔を確かめたくなる衝動を抑えた。偽名を名乗るとは。確かに妻は楽(がく)姓である。常々思ってはいたが、機転の利(き)く男だ。
孫立は思う。孫新に楽和、つくづく良い弟を持ったものだ、と。
妻と顧大嫂を奥で休ませる事にして、彼らは卓に着いた。
「本当ならば、盛大に歓待したいところなのですが、まだ梁山泊との勝負がついておらず、申し訳ありません」
祝竜(が悔しそうに酒を呷った。だが祝彪が、自慢げに語った。こちらは梁山泊の頭領を何人か捕らえているから勝利は間もなくでしょう、と。
「なるほど、さすが祝家のご子息たちは頼もしいですな。これは我らの出番がないかもしれない」
賞賛する孫立に、欒廷玉が低く言った。
「まだ、決着はついておらぬよ。あまり梁山泊を甘く見ぬ事だ」
孫立は欒廷玉の横顔を見つめた。
変わっていない。あの頃と、少しも変わってはいなかった。
圧倒的な武芸の技を持っていながらも、決して油断する事のないところにこそ、この男の強さがあるのだ。
孫立は複雑な思いだった。梁山泊に入るためとはいえ、かつて同じ釜の飯を食った同輩を騙す事になろうとは。欒廷玉がどうして登州を去ったのかは分からないが、彼なりの事情があったのだろう。
逆の立場もあり得たのだろうか。その時、欒廷玉ならばどうするのだろうか。
また、石勇の店に行く前に祝家荘を知っていれば、もしかして。
しかし、こうなっては仕方のない話なのだが、やはり孫立は様々な思いが頭をめぐってしまうのだった。
横目で孫新を見る。弟は十里牌の店にいる時と変わらない顔だった。
孫立は酒を飲み、考えるのをやめた。
鄒潤がきょろきょろしながら歩いていた。
「あんまり目立つ真似するんじゃない、潤。いま、わしらは軍人という事になっているのだぞ」
「だってよ、叔父さん。すげえ立派な屋敷だからよう」
鄒潤は頭を掻き、鄒淵に向かってすまなそうな顔をする。
「はは、鄒潤の言う通りだな。屋敷の周りにいた兵たちも相当鍛えこまれているようだ。さすがは欒廷玉ってところかな」
孫新が庇(かば)うように言った。宴会が終わり、部屋に向かう途中であった。
鄒潤が言ったように、廊下に飾られた絵や置物ひとつとってもかなり値の張るものである事がわかった。
「そういえばあの男、宴の最中は孫立どのとばかり話していたな。俺たちはおろか、孫新どのとさえ目も合さななかったぜ。まったくいけ好かない野郎だぜ」
「そうか、お前は知らなかったのだな」
「何をだい、叔父さん」
鄒潤に言いかけた鄒淵だったが、孫新がそれを止めた。
「まあ、良いじゃねぇか。もう昔の話さ」
と、遠くを見るような目をする孫新。
教えてくれよ、という鄒潤に構うことなく、
「屋敷の作りをちゃんと調べておいてくれよ、二人とも」
と告げて部屋へと入ってしまった。
鄒潤がぶつくさ言う声が聞こえていたが、それも次第に遠のき、やがて聞こえなくなった。
寝台に腰かけ、孫新がひと息ついた。そして懐から酒を取り出した。部屋で飲もうと拝借してきたものだった。
手酌で杯を満たし、ぐっと喉に流し込む。
顧大嫂や楽大娘子ら女性は別の棟に泊まっている。
「ひとりで夜を過ごす事など、しばらくなかったなあ」
孫新は誰かに話すように口に出してから、それに気付くと苦笑いをした。
酒が減るのが、遅く感じる夜だった。