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宿運

 すべて梁山泊のせいにしてかまわない。

 宋江はそう告げて、宿元景を送りだした。

「わしは起こった事をありのまま、帝に報告するつもりだ」

 宿元景はそう言って、開封府へと旅立った。

 遠のいてゆく一行が見えなくなる頃、宋江は思い出した。荷物の中から玄女の天書を引っ張り出し、慎重に開いた。

「宿に遇うは重々の喜び」

 宋江は声に出して呟いた。

 宿、とは宿太尉の事なのだろうか。しかし何が喜びなのか。

 魯智深と史進を救いだせた事か。確かに喜びには違いない。だが、それだけだろうか。

 宋江は宿太尉が去った先を、日が暮れ始めるまでずっと眺めていた。

 夜になり、少華山で宴が開かれた。史進が救出の礼を述べ、杯を上げた。

 魯智深が史進と出会った時の話をはじめた。瓦罐寺のくだりになると興奮したのか、立ち上がって拳を振るいだした。

 史進も加わると、目の前で生鉄仏と飛天夜叉との戦いが見えるようだった。やんやの喝采を浴び、魯智深と史進は大碗で酒を酌み交わした。

 今度は史進が、呉用の策を讃えた。

「聞けば、賀太守をおびき寄せたのは、呉用どのの策だとか。下には強く、上には弱い役人どもの性格を上手く利用した、実に痛快な策だ。まったく俺も、そのばにいたかったものだ」

「褒めていただいてありがたいのですが、私には小細工まがいの策しか考えつきませんでした。朱武どのこそ兵法に通じ、陣形に関しては右に出る者がいないとか」

「うむ、華州城攻めの際に少華山の動きを見ていたが、華州の軍よりも軍らしい動きをしていた。さすがは神機軍師だと感心したものだ」

 呉用に続き林冲にもそう言われれば、朱武も悪い気はしなかった。

 だが朱武こそ、林冲や呼延灼の動きを見て、己の非力を感じたのだ。これが梁山泊なのだ、と思ったのだ。

 さて、と魯智深が碗の酒を呷ってから、少し真面目な顔になった。

「すっかり騒動になってしまったが、本来わしがここに来たのは、お主を梁山泊に紹介するためだったのだ、史進よ」

「俺を」

「そうだ。わしやそこにいる武松もこの間、梁山泊へと入った。そこでお主が入ってくれれば、梁山泊にとって大きな力になると思ったのだ。のう、宋江どの」

「うむ、まあ、そうなのだが、いまはその話は良いではないのかな。せっかくお主と史進を助け出し、少華山の好漢たちとこうして知り合えたのだ。今夜は宴を楽しもうではないか。そうだ魯智深よ、飲み比べをするとか何とか言っていたではないか」

「おお、そう言えばそうだったわい。おい林冲、久しぶりの酒だ。断るとは言わせぬぞ。他にも勝負したい奴はいるか」

「へへ、俺だって魯の兄貴と飲みたかったんだぜ」

「待て待て待て、史進にゃ悪いが、酒なら俺の方が上だぜ」

「おい陳達。大きな口をきけるのも今のうちだけだぞ」

「がはは、誰でもかかってこい。わしは遠慮は知らぬ性質(たち)だからな」

 四人の豪快な飲みっぷりに、宋江は笑みを浮かべていた。

 その横で呉用は、我関せずを決めこみ、ちびりちびりと飲んでいた。

 

 寝台に思い切り倒れ込んだ。

 いつもはあまりそう思わないが、布団が気持ち良いと思った。

「魯の兄貴は、やっぱり化け物だな」

 史進は自分の酒臭い息に顔をしかめた。体中から酒の匂いが立ち昇っている気がした。

 しかし飲んだものだ。一生分、とはいかないまでも当分酒はいらないかもしれない。

「大丈夫かい」

「もう駄目だ。もっと飲めると思っていたのだがな」

 楊春だった。部屋の外に、まだ騒いでいる陳達の声が聞こえる。

 史進はすこし沈黙し、大きく息を吐いた。

「痛かった」

「何が、だい」

「魯の兄貴に背中を張られたよりも、朱武に殴られた方が、痛かった」

「朱の兄貴は、嬉しかったのさ。無事に助け出せて」

「俺は、やはり向いてないのだ。これだけの者たちを、少華山を束ねる事など、つくづく難しいと感じた」

 楊春が何も言わず、側に腰かけた。

「これまでもひとりで走って、朱武やお前たちに迷惑をかけっ放しだった。そして今回の件だ。俺は俺が嫌になったよ」

「そうかな」

「そうさ。朱武だって、もっと大きな軍を動かしたいだろうし、きっと力を発揮できると思う。いや、少華山の軍が劣っているという訳ではないのだ」

「わかってるさ。でも、俺もこの度の戦で、井の中の蛙(かわず)だったと思い知らされたよ」

 史進はにやりとしてみせた。

 そしてまた少しの沈黙。

「なあ、朱武よ。お前もそう思うだろ」

 入口の陰にいた朱武がぎくりとした。

 たまたま通りかかったら、史進と楊春の話が聞こえた。いかんとは思いながらも少華山の進退に関する話のようだったので、聞き耳を立てていたのだ。

 ばつの悪そうな顔で朱武が入ってきた。

「どうするというのだ、史進」

「俺たちも、梁山泊へ、ってのは駄目かな」

 朱武に、史進と楊春の視線が向けられる。朱武は目を閉じた。

 史家村で何不自由なく暮らしていた。家長の史大老が亡くなり、史進が家督を継いだ。しかし家の事は王四(おうし)という男に任せきりだった。

 ひょんな縁で少華山の我らと親しくなった。そのせいで役人に狙われ、史進は家に火をつけ、逃亡した。

 少華山の頭領になってくれないかと言った。だが断られ、史進は各地を放浪した。そして一年ほど経ち、史進は戻ってきた。

 山賊になりたくないのだと思っていた。だが思えば、少し違ったようだ。

 縛られたくなかったのだ。

 何不自由なく暮らしていたのではない。史家村の子息であるということに、縛られていたのだ。そして解放された史進に、はからずも今度は少華山の頭領という枷(かせ)をかけてしまったのだ。

 武の腕が立ち、人としての魅力も充分にある。だがそれで人の上に立てるかどうかは別の話であった。

 史進は、少華山の頭領であろうとしたのだ。我らの期待に応えるべく、必死だったのだろう。

 朱武はゆっくりと息を吐いた。

 史進は戦っている時こそ活き活きとしていた。朱武が献策し、史進らが確実にそれをやってのけた。そして少華山は大きくなった。

 史進を頭領ではなく、軍を率いる者として用いるべきだったのだ。

 だが今さらそれを言っても始まらないし、あの時はみな頭領に迎えたいという思いだったのだ。

「すまなかった。お前の想いを聞かぬように、耳を塞ごうとしていたのだな」

「そんな事ないさ。あの時も言ったが、本当に嬉しかったんだ。俺も一人前の男として認められたんだってな。でもやってみて分かる事もあるだろ。俺は戦の場で刀を振りまわしている方が性に合っているんだ」

 朱武と楊春が優しく史進を見つめた。

「最後くらい頭領らしく命令させてくれ。少華山は引き払い、梁山泊へと合流する。もちろん去りたい者、華州に残りたい者には財産を分け与えることとする。解散は、そうだな。五日後って事でいいかな、朱武」

「いいかなも何も、頭領の命令だ」

「そうか。でも陳達の奴が反対しそうだな。少華山から出るのか、って」

「文句は言わせないさ」

 楊春が力強く、そう言った。

 意外な言葉に史進は少し驚いた顔をした。そしてすぐに嬉しそうな顔になった。

「よし、飲み直すぞ。陳達を連れて来い。俺の底力を見せてやる」

「待ってろ」

 楊春も嬉しそうに飛び出して行った。

 ぎゃあぎゃあ喚く陳達の声が近づいてくる。

 史進が、待ってましたとばかりにもろ肌脱ぎになった。

 九匹の竜が姿を現した。

 解き放たれた喜びに、竜が吼え猛っているようだった。

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