
108 outlaws

疾駆
一
甲馬を四枚貼り付けた、最速の神行法である。
もっと速く、もっと速く。いつもと違い、気持ちだけが先走ってしまっている。戴宗はそれに気づき、冷静になろうと努めた。
東京開封府へ行っていた。宿元景に書状を渡し、楽和と連絡を取るためだ。
二日ほどで蓋州に着いた。
戦があった。壺関を落ちのびていた山士奇が攻めてきていたのだ。
蓋州は防衛したが、杜興、施恩が共に負傷。捕らえた山士奇は、梁山泊に投降したという。
「おい、あんた。そいつをどこで覚えたんだ」
開口一番、驚いた様子の山士奇が食いついてきた。戴宗が言い淀んでいると、山士奇が続けた。
「いや、実はあんたと同(おんな)じような術を使う奴が田虎(でんこ)軍にもいてね」
「なんだと。そいつは誰なんだ」
今度は戴宗が山士奇に詰め寄った。
神行法と同じような術。しかも、一日に千里を行(ゆ)く、だと。誇張だとしても、自分よりも上だ。
悔しい、と素直に思った。同時に、何者なのか確かめたい。そうも思った。その思いを隠しもせず、戴宗は急いだ。
昭徳府の宋江に一旦報告をし、今度は西の盧俊義の元へ向かう。
孝義県が見えた。もうすぐだ。
晋寧から北へ向かった盧俊義軍の足取りは順調と言えた。
陽城、沁水が住民の手によって、田虎軍から解放されていた事も大きく影響したのだろう。
ここ汾陽でもそうだった。
梁山泊という名に触発され、兵や住民たちが守将の田豹に対して、抵抗を示したのだ。そして田豹自身も大軍に臆病風を吹かせ、ほとんど戦う事もせずに遁走してしまった。
田豹は近くの孝義県へ逃げこもうとした。しかし梁山泊の駐留部隊に阻まれ、行き場を失ってしまった。
くそっ、と田豹が顔を赤くしている。
おめおめ威勝に逃げても、田虎に叱責されるのは見えている。どうしたものかと思案しているところ、彼方から土煙が迫ってきた。
追っ手か。まずい。
だがその軍勢は援軍だった。約三万の兵を率いるのは統軍の馬霊。
この馬霊、涿州の生まれで妖術を使う。二つの車輪をそれぞれの足に踏むことで、一日に千里を走ることができるため、神駒子と呼ばれていた。
さらに馬霊は八人の将を引き連れていた。そのどれもが、道衣のような僧衣のような衣装を纏った、妖しげな風体の者ばかりであった。
田豹は鷹揚に馬霊らを迎えた。
「いいところに来てくれた。梁山泊の奴らめ、忌々しい。わしも必死に戦ったのだが惜しくも破れ、ここで城を奪い返す算段を立てていたのだ」
「ご心配めさるな。私の力で取り返してみせましょう。では早速、汾陽へ」
「いや、待て」
田豹は少し考え、にやりとした。
「まずは孝義県だ。ここも梁山泊に寝返りおったのだ。わしを怒らせるとどうなるか、思い知らせてやらねばな」
孝義県の陳達と楊春が、慌ただしく出陣の準備をしている。
「なんだ、また来やがったのか」
「どうやら、援軍が一緒みたいだね」
まったく、と愚痴をこぼす陳達を、楊春が追った。
田豹が待ちかねたように首を伸ばした。
「来たぞ来たぞ。さあ、やっちまえ、馬霊」
「では。武能、徐瑾、行って来い」
「おい、馬霊。お前が行くんじゃないのかよ」
「あの程度の相手、私が出るまでもないでしょう」
馬霊は静かに言ったが、やや冷ややかな目だった。
ぞくりとした田彪は、そうだなと言うしかなかった。
武能と徐瑾が音も立てずに進んでゆく。田豹は、味方ながらその異様さに息を飲んだ。 対する陳達と楊春も、不気味さを感じていた。
「何だか変な奴らが出てきたぜ」
「気をつけろ。妖術でも使うかもしれないぞ」
武能と徐瑾が手で印を形作り、何やら唱え出した。
陳達が咄嗟に馬を駆けさせる。槍を構えた陳達めがけて、徐瑾が激しい風を起こした。陳達が腕で顔を防御するようにして耐える。
一方の武能も文言を唱え終えると、楊春に向けて両手を突きだした。突風に備えた楊春だったが、様子が違った。
頬が濡れた。
む、と楊春が顔を上げた途端、大粒の雨が降り注いできたのだ。
楊春の推測は当たっていた。武能と徐瑾、彼らは妖術を使う。二人は馬霊の弟子、人呼んで霊感王の武能、黄風王の徐瑾。
やってしまえ、と叫ぶ田彪の横で、馬霊は目を細めて見守っている。
「くそお、鬱陶しい風だ」
鎗を地面に突き立て、それに縋るようにして耐える陳達。止む事のない風に、陳達も我慢の限界だ。
しつこいんだよ。だが吹くだけで、他に手がないようだな。
そうとわかれば、と槍を掴んだまま体重を後ろにかける。槍が徐々に弓なりに反ってゆく。そして折れそうなほどになった時、陳達が足を浮かせた。
ぐん、と槍が戻る反動を利用し、陳達が中空に跳んだ。風から脱した陳達が槍を引きよせる。そのまま上から徐瑾に槍を繰り出した。
咄嗟に徐瑾が掌を陳達に向け、また文言を唱えた。突風が吹きつけたが、中空から迫る陳達を拭き飛ばすことはできない。
しかし槍の切っ先を逸らすには十分だった。間一髪のところで、陳達の一撃をかわし、徐瑾が態勢を整える。
地面から槍を引き抜き、陳達が唾を吐いた。
同じ手は通じない。
「さあて、どうしようかね」
苦笑いする陳達の頬に、ひと筋の汗が流れた。