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決裂

 晁蓋が勢いよく立ちあがり、怒鳴った。

 周りにいた、豪傑と呼ばれるような頭目たちさえ首をすくめてしまうほどだった。

「勝手に梁山泊の名を騙(かた)りおって。こ奴らを斬り捨てい」

 その声は目の前にいる楊雄と石秀に向けられていた。

 自分たちの軽率な行いが招いた事だ。好意で手を貸してくれた李応と杜興まで巻き込んでしまった。

 これ以上迷惑をかける事はできない。そう考え、楊雄と石秀は梁山泊へと向かったのだ。

 北にある石勇の居酒屋に着き、そこで梁山泊へと渡る手筈を整えてもらった。

 広大な湖に驚くばかりだった。案内する石勇もどこか自慢げだった。すぐに聚義庁へと向かい、晁蓋らと拝謁した。

 祝家荘での顛末を話し、何とか時遷救出を頼んだ。そして晁蓋が怒(いか)った。

 晁蓋は、早く斬ってしまえ、と叫んでいる。

 す、と楊雄の横に文官のような男が出てきた。

「梁山泊を騙れば斬首、という法はございません、晁蓋どの」

 冗談のような事を至極真面目な顔で説いていた。

「ならば今作ってしまえ、裴宣」

 裴宣は困ったような顔をして、下がっていった。

 石秀は思い出した。裴宣、鉄面孔目の裴宣か。戴宗と待ち合わせをしていた飲馬川の頭領ではなかったか。

「お待ちください、晁蓋どの。彼らを梁山泊に誘ったのは私なのです」

 聚義庁に戴宗が入ってきた。二人が来たという報告を受け、駆けてきたのだろう。石秀の横で、戴宗が笑った。

「すまなかったな、先に行ってしまって。来ないものだから、振られたのかと思っちまったよ」

「戴宗、どくのだ。まだ話は終わっておらぬ」

 え、と戴宗は不思議そうな顔で晁蓋を見た。

「いや、ですから、二人は」

「くどい」

 戴宗の言葉をぴしゃりと抑えつけ、晁蓋が睨んだ。

「おい、どうしたっていうんだい。托塔天王と呼ばれるお人が、そんな小さな事でがみがみ怒鳴り散らす男だったのかい」

 目を赤く血走らせている男、裴宣と同じく飲馬川の頭領だった鄧飛が前に出た。その後ろで背の高い男、孟康が鄧飛を止めるように肩を掴んでいた。

 晁蓋の横に座る宋江がなだめるように言った。

「話を聞いていれば、わざと梁山泊の名を出したのではないようです。向こうの売り文句に思わず乗ってしまったのでしょう」

「お気持ちも分からないではありませんが、この二人も今後梁山泊の大きな力となる人材です。どうかお考え直しを」

 と、呉用も助け船を出す。

 だがそれでも晁蓋は、斬れの一点張りだった。

 喧噪の中、楊雄と石秀がすらりと短刀を抜き放った。聚義庁が一瞬にして緊張に包まれた。誰かが飲み込んだ唾の音まで聞こえた。

 二人は短刀の刃を反転させ、自らの首に当てた。

「この楊雄、けして悪意を持って梁山泊の名を貶めた訳にはございません」

「晁蓋どのがお怒りになるのも当然のこと。しかし時遷は、義兄(あに)と同じく兄弟の契りを交わした男。あなた達が好漢というのならば、我らの命二つで、どうかお力をお貸しいただきたい」

 そう言って、刃を首に押しつけた。

 皮が切れ、血がうっすら滲んだ時、高らかな笑い声が響いた。

「ははは、すまぬ二人とも」

 笑ったのは晁蓋だった。

 何事かと楊雄と石秀はもちろん、場にいた頭目たちも目を丸くした。晁蓋は楊雄と石秀の元に下りると、片膝立ちになり拱手した。

「ふたりとも、すまぬ。お主たちが軽々に梁山泊を貶めるような男でない事は分かっていた。石秀どのの義勇、楊雄どのの豪傑ぶりはそこにいる戴宗から聞いていたからな」

 楊雄は、はっと気づき慌てて晁蓋を立たせようとした。だが晁蓋は続ける。

「二人が好漢だという事は聞いていた。だがわしも、自分の目で確かめたかったのだ。品定めのような事をして、本当にすまなかった」

 石秀と二人でやっと晁蓋を立たせると宋江も駆けより、さすがは晁蓋の兄貴ですと笑顔で言った。

「さて、本題に入ろう。時遷の救出だ」

 楊雄と石秀が拱手し、深々と頭を下げた。そこに朱富が酒を運んできた。

「おお、丁度良い。いま声をかけようと思っていたところだ」

「はい、そろそろだと、宋清どのが」

 それを聞いた宋江は乾いた笑いを漏らし、呆れたような顔をしていた。

 

 祝家荘の名は聞いていた。

 独竜岡に位置し、梁山泊を討伐すると豪語しているという。さらに楊雄と石秀により詳細が明らかになった。祝家荘は他の二つ、扈家荘と李家荘とも手を組んでいるのだという。 

 中でも厄介なのは祝家荘だろう。扈家荘の娘が、祝彪と結婚の約束を交わしているというから、有事には扈家荘も駆けつけてくるだろう。

 幸いにも、不幸にもとでも言おうか、李応が祝彪に手傷を負わされたので李家荘はこれに加わらないと思われた。

 遠からず祝家荘が、梁山泊と激突するであろう事は予想されていた。

 そこへ計らずも黄門山、そして飲馬川が梁山泊へと合流する事になった。この時期に重なったのは、偶然を越えているようにも思えた。とにもかくにも、梁山泊は二つの勢力を吸収し、大きな兵力と有能な頭目を手に入れる事となった。

 蔣敬の時もそうだったが、裴宣という法に関わる者が来た事で、呉用は喜んでいたようだった。鄧飛はもちろん強力な戦力となったが、孟康が来た事は梁山泊にとって大きな意味があった。

 軍船の建造である。それまで船は水軍の阮三兄弟や張兄弟、童兄弟が自ら行っていた。だが彼らは本職ではない。漁船程度はできても、軍船となるとまた別の話だ。しかし孟康は生粋の船大工であった。

 梁山泊にとって水軍は要となる。それがさらに強力になる事が約束されたようなものだった。一番喜んでいたのは、昔やっていたからという事で仕事をさせられていた馬麟だったようだが。

 祝家荘と戦わなければならない。それを決定づける出来事があった。

 飲馬川がやって来て少しした頃である。晁蓋は呉用と、梁山泊を見回っていた。

 練兵場から兵たちが戻ってきていた。修練が終わったのだろう。みな、二人の姿を見ると拱手し、笑顔で挨拶をして去って行った。晁蓋も笑顔でそれに応え、次の場所に行こうとした時だった。

 兵の一人が、持っていた刀を抜き放ち、後ろから晁蓋に襲いかかってきた。

 背を見せていた晁蓋は、反応が一瞬だけ遅れた。

「晁蓋どの」

 呉用が叫んだ。

 その刀はすんでの所で止まった。晁蓋を襲った男の腕に、銅の鎖が絡みついていた。呉用が咄嗟に放ったものであった。

 そしてさらに男の体には鉄の鎖が絡みついていた。そしてその鎖の先には鄧飛がいた。

「危ねぇ、危ねぇ。どうやって入りこんだんだ、こいつ」

 ぐい、と鉄鏈を引き、男を晁蓋から引き離す。そして素早く、男の口に、落ちていた木の棒を噛ませた。舌を噛み切って、自害させないためである。

「へへ、まだその技を磨いてたみたいだな。まさか、あの時の書生が梁山泊の軍師になってるなんてなぁ」

 鄧飛はまるで目の前で暗殺未遂など無かったかのように笑った。

「ありがとう、鄧飛。助かったよ」

「頭領を守るのが、俺たちの仕事さ。当たり前のことをしただけさ。こいつは俺に任してもらうぜ」

 駆け付けた配下たちに取り押さえられ、男は牢へと入れられた。

 男は祝家荘からの刺客だと判明した。鄧飛がどのような手を使って聞き出したのかは考えたくもなかったが、呉用は事の大きさに唸った。

 鄧飛も言っていたが、どうやって入りこんだのだろうか。朱貴をはじめとする東西南北の酒屋では、入山に関しては充分な注意をしているはずである。今後はさらに厳しい対応をしなければならない。

 林冲に聞くと、この刺客は少し前からいた者だったという。おそらく黄門山が加わったあたりに、どさくさに紛れて潜りこんだのだろうという推測となった。

 梁山泊を倒すと豪語している祝家荘だったが、ここまで直接的な手に出てくるとは思わなかった。晁蓋も呉用も油断していたのだ。

 祝家荘、討つべし。はからずも楊雄らが梁山泊に来た時にはその機運が高まっていたのである。

「して、どうするかね軍師どの」

「我らを敵に回すとどういう事になるのか、しっかり教えてあげる事にしましょう」

「よし、そうと決まれば」

「お待ちください。兄貴は梁山泊の頭領たるお方。ここで腰をしっかと据えて見ていてください」

 腕まくりをして、今にも出撃しそうな晁蓋を、宋江がやんわりと止めた。晁蓋は、またかというような不満そうな顔だった。

「どうしても、わしは行けんのか」

「すみません、兄貴。こたびは双方、総力を尽くす事になるでしょう。この前の事もあります。兄貴にもしもの事があれば、この梁山泊はお終いなのです」

 そうか、と無理に納得した顔で、晁蓋は床几に腰をおろした。

 そんな晁蓋に取り合わず、呉用は裴宣に命じて人員を確認させた。どうやら呉用も宋江と同じ考えのようだった。

 第一隊は宋江をはじめ花栄、李俊、穆弘、李逵たち、そして楊雄、石秀がここに加わる。第二隊は林冲、秦明、張横、張順などの編成で、それぞれ三千の部下と三百の騎兵を引き連れる事となった。さらに宋万と鄭天寿がそれぞれ金沙灘と鴨嘴灘を守り、糧秣などの輸送に当たる。

 呉用は梁山泊に残る事になった。まだ暗殺の件が記憶に新しい。晁蓋を側で護衛するためだ。

 林冲は船上で腕を組み、遠くを見つめていた。後には秦明がいた。

「梁山泊でこのような規模の戦は初めてだな」

「何か心配事でも、林冲どの」

「いや、兵は秦明どのと黄信がしっかりと鍛えてくれているし、近ごろ加わった黄門山と飲馬川の面々も大きな戦力となった。何も心配はしておらぬよ」

「そろそろ秦明、と呼んでいただきたい。どの、などと呼ばれるとむず痒くで仕方ない」

 ふふ、と林冲は微笑んだ。

「晁蓋どのが来て、梁山泊は変わった。官軍を寄せ付けぬほどに大きくなり、入山を希望する者も増えた。だがその分、今回の祝家荘のような敵も増えた」

「これからも、梁山泊が大きくなるにつれ、それが起きると」

「うむ。そして最後には、晁蓋どのがいつも言っている、国と戦う事になるのだろうか」

「国と」

 晁蓋は常々、梁山泊は国と戦っているのだ、と言っている。

 自身が保正だった頃からその目で見てきたであろう民の窮状、役人の不正、中枢の高官の専横が許せないのだろう。だからこそ地位を捨ててまで生辰綱を奪い、梁世傑の鼻を明かしてみせた。

 そして頭領となり、ただの山賊の集まりだった梁山泊をここまで大きくしてみせた。晁蓋の視線の先には国を倒すという事が見据えられているのだろう。

 秦明は黙って林冲の背を見つめた。

 林冲も秦明自身も国に裏切られ落草したのだ。

 そして同じく妻を、失った。

 林冲の心には、高俅への復讐心が静かに燃え続けているのだろう。

 国と戦う時、そこには高俅がいる。そして秦明の心には、慕容彦達への怒りが渦巻いている。

「覚悟はできているか」

「ええ、ここに来た時から、とっくにできておりますよ」

「頼もしいな、秦明」

 そう呼ばれた秦明は、嬉しそうに微笑んだ。

 

 薄暗い部屋で、時遷は縛りあげられたまま床に転がされていた。

 時遷は目を閉じてじっとしていた。その顔には殴られてできた痣がいくつかあった。

 時遷の瞼がぴくりと、あるかないかの微(かす)かなものだったが、動いた。

 床につけた耳に、足音が伝わって来る。いつもの足音、祝彪のものだ。それと家人が二人ほどか。

 部屋の戸が開けられた。

「さっさと起きろ、このこそ泥め」

 声の主は、やはり祝彪だった。時遷はその声に応じず、じっと寝たままだ。

「寝た振りなどしても無駄だ」

 祝彪が家人に命じ、時遷を無理やりに立たせる。時遷はやっと気付いたかのように、うっそりと目を開けた。

「おや、ご無沙汰しております、祝彪の旦那。ご機嫌麗しゅう」

「ふふ、よくもここまで軽口を叩けるものだ、感心するよ時遷」

 家人に押さえられている時遷の腹を、祝彪が殴った。

 時遷が嗚咽が漏らす。

「まあいい、今日は本当に機嫌が良くてね。梁山泊の奴らが、わざわざ負けに来るんでな、こっちから出向く手間が省けたというものだ」

 祝彪が時遷を見下ろし、高笑いをした。

「この前の李応といい梁山泊といい、まったく物好きな連中だ。こんな男を助けに来ようだなんて」

 そこで祝彪は、時遷の頬を張り付けた。

「何を笑っている。お前が絶望する顔を見るために教えてやったというのに」

 それでも時遷は笑みを浮かべていた。頬を張られた痛みなど感じていないかのように。

「ふん、気味の悪い奴だ」

 行くぞ、と祝彪と家人たちは行ってしまった。扉の錠が掛けられる音が聞こえた。

 時遷はまだ笑っていた。

 祝家荘に捕らわれたのは、自分の責任だ。勝手に鶏を盗んだのだから。楊雄と石秀に迷惑をかけてしまったと、時遷は思っていた。

 自分の事は放っておいて逃げろ、と叫んだ。二人はそうしたものだと思っていた。だがどういう経緯(いきさつ)か分からないが、祝家荘と同盟を組んでいるという李家荘の主、李応を連れて来た。

 そこで時遷は驚いたものだ。自分を救うために楊雄と石秀が奔走してくれていたのだ。

 だが李応は祝彪が追い返したと、祝彪自身が自慢げに言っているのを聞いた。

 しかし今度は梁山泊だという。

 楊雄と石秀のために、梁山泊が動いた。

 もちろん梁山泊を潰すと宣言している祝家荘と戦う目的もあるのだろうが。それでも時遷を救うために、あの梁山泊が動いたのだ。

 たった一人の、こそ泥を救うために。

「あんたらにゃ、一生分からんさ」

 すでにいない祝彪そして祝家荘に向けて、時遷はそう呟いた。

 そして再びゆっくりと目を閉じた。

 時遷の顔は微笑んだままだった。 

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